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トニー北山のチャペルアワー(第1回)

 「TAKE IVY」を読むと、普段はバンカラな服装のアイビー・リーガーたちも、日曜日になると、ボタンダウン・シャツにネクタイを付け、ドレスアップすると書いてありました。なぜなら、日曜日、彼らは正装して教会に通うからです。

 ただし、これは1960年代の話。

 僕が学生時代をすごした80年代には、アメリカでも無宗教の嵐が吹き荒れて、当時の教授によると、アイビーリーガーで教会に行く学生なんてごくわずか、むしろ例外になっていたようです。

 ところが、先日もNHKの「クローズアップ現代」で特集していましたが、現在、アメリカでは「メガチャーチ」という、信者を数千から数万人集める教会が増えてきて、キリスト教信者が急増しているようです。

 そうすると、21世紀の現代においては、アイビーリーガーの間でも、また、日曜日に教会に行く学生が急増しているのではないでしょうか。

 僕も学生時代、京都のキリスト教系の大学に通っていたので、アイビーリーガーに倣って、日曜日には時々、隣の女子大のキャンパスの中にある学内の教会に顔を出していました。女子大のキャンパスに入れるのもなんとなく嬉しかったですからね。その教会には、共学の方の学生や教授が何人かと近所に住んでいらっしゃるお年寄りの方などが出席していました。

 また、キャンパス内にある神学館3階のチャペルでは、毎週水曜日の2時限目に「チャペルアワー」と呼ばれるキリスト教式の礼拝兼講演会があり、内外の著名な方々が公演をされていましたので、僕はこれも、講演のテーマを選んで出席していました。

 ちなみに、調べてみますと、この「チャペルアワー」は、キリスト教系の大学なら、時間帯や内容は別としてだいたい開催されているようです。同志社大学のほかに、同志社女子大学、平安女学院大学、梅花女子大学、関西学院大学、桃山学院大学、西南学院大学、明治学院大学、立教大学、敬和大学、山梨英和大学、大阪女学院大学、広島女学院大学、恵泉女学園大学、などなど。ただ、学生時代にクラブの行事で行った神戸海星女子学院大学は、チャペルアワーのかわりに「ゆうべのミサ」が行われているようです。

 ただし、僕は高校まではキリスト教には一切触れていませんでした。僕の実家の宗教は、いわゆる「葬式仏教」、「法事仏教」で、分家だったために実家に仏壇も無く、日常は宗教とは完全に無縁の生活。お盆の墓参りの際にお墓にお線香をあげて仏式に手を合わせ、ごく稀にある法事で旦那寺に行ってラメ入りの法衣を着ているお坊様に挨拶し、クリスマスには母親に千円札を渡されて自転車でクリスマスケーキを買うお使いに行き、初詣は毎年、古刹や有名神社の中で、その時々の気分でお参りする先を選び、ご縁がありますように、と5円玉、たまに奮発して100円玉を投じる程度でした。

 それでも、僕が大学時代に、ときおり教会に行ったり、チャペルアワーに参加したのは、せっかくキリスト教系の大学に通っているのだから、キリスト教を学んでみたい、そして、信じられるものなら信じてみたい、という気持ちからでした。

 本当だかどうだか分かりませんが、僕の叔父さんに言わせると、我が家の先祖は、幕末に奈良から東国に貧乏旅行に出た山伏姿の乞食坊主だそうですから(それにしても、自分のご先祖を「乞食坊主」と呼ぶのはどうかと思いますが)、先祖伝来の宗教心は持ち合わせていたのでしょう。

 それで、どうだったかというと、結局、学生時代当時、キリスト教を信じるまでには至りませんでした。知識としてのキリスト教やキリスト教文化、キリスト教式の教育なんかには親近感が沸いたのですが、理性的に考えると、キリスト教には自然現象を超越する奇跡など疑問に思うことが数多く書かれており、容易には信じられなかったからです。

 キリスト教と理性、知性とはあい反するものではないかしらん?

 ということが当時の僕の感覚であり、結論でした。「無神論者」ではないにしても、「懐疑主義者」の端くれだったのです。学生の中には、カルト集団に引っぱり込まれて、あげくのはては退学して、繁華街で勧誘してたような人もいたようですが、そんなの絶対お断り!ですしね。

 それ以来、社会人になっても、学生時代の懐かしさを味わうような意味で、クリスマスに教会なんかに行ったりしていますが、キリスト教の知識としては80年代当時に学んだものに留まっており、キリスト教に対する懐疑の念は変わりませんでした。

 だから、アメリカにおける「メガチャーチ」の動きなどは、9.11以降のアメリカ人の不安感、アメリカの保守化から生じたものとして、異様感だけを感じたのでした。

 ところが、アメリカでキリスト教信者が急増しているのは、どうもそれだけではないようです。

 まず、9.11以降のアメリカでは、人々の価値観がガラッと変わっています。

 9.11以前には、「金銭的成功」とか、「成果」とかに価値を求めた人たちの多くが、それ以降、「愛」や「誠実」など、「人間の本質」を重んじるように変わっていったのです。

 それは、社会的に、エンロン事件など表向きの「成功」を築いていた従来の枠組みがガラガラっと音を立てて崩れて行ったのを背景にしていますが、やはり、アメリカの繁栄の象徴である世界貿易センタービルが目の前で崩壊し、5千人以上の人たちの命があっというまに消えてしまったことに驚愕したアメリカの人たちが、自分の生きる意味を改めて問い直しはじめたのだと思います。

 そのような価値観の変化に加えて、最近のキリスト教の研究が飛躍的に進んで、キリスト教が理性的に信じられるものであるという理解が広がってきたことも大きいようです。

 それを象徴する研究書が、イェール大学大学院で法学修士号を取得した敏腕ジャーナリスト、リー・ストロベルの『ナザレのイエスは神の子か?』、『それでも神は実在するのか?』(いずれも日本語訳版、いのちのことば社刊)です。

 それぞれ、国語辞書ほどの厚さのある本ですが、僕はたまたまこの2冊を見つけて買いましたが、いつもは「積ん読」本になる運命なのに、ちょっと読み始めたら推理小説を読むように面白くて止まらなくなりました。  

 もともと懐疑主義者だったストロベルさんが、事件記者さながらに、僕がキリスト教に対して感じていた数々の疑問を、そのまま、その分野の最高の研究者にぶつけ、インタービューして、一つづつ理性的に解決してゆくのです。

 「そんなばかな!}と皆様はおっしゃると思いますが、先入観を外してストロベルさんの真剣な探求記録を読むと「なるほどなあ」と思うことが多いんです。

 たとえば、アメリカにおけるイエスの4福音書の最高権威の一人であるクレイグ.L.ブロンバーグ博士へのインタビューから明らかになったこととして、新約聖書の「コリント人への手紙」第15章に書かれた復活したイエスに関する記事は、イエスの死後わずかに2~5年以内に初期のクリスチャンの間でまとめられた信条をもとにしている、という指摘です。復活したイエスを目撃した人は500人以上にも上り、今なお生きている、だから、嘘だと思うなら、彼らに聞いてみなさい、と「コリント人への手紙」は語っているのですから、そうなると、イエスの復活の記事は「伝説」ではなく、「目撃談」になります。

 イエスの復活は「伝説」だと考える人でも、この指摘を知ると、「もしかしたら事実かもしれない」と思ってしまいますよね。

 もともと懐疑主義者のストロベルさんは、そのようなイエスに対するさまざまな疑問をその道の権威ある専門家に訊ねた結果、自らがキリスト教信者になりました。

 どうやら、キリスト教は真剣に研究する必要がありますね。

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