玉川紫陽花乃清水(たまがわ・あじさいのきよみず)
またまた、太鼓がドドン、と鳴って、狂言回し・金春亭湯之助(こんぱるてい・ゆのすけ)が登場。
「とうざい(東西)、とうざい、本日の題目は、玉川紅葉乃清水でございます。時代は四代将軍家綱様の頃、江戸の庶民は神田上水からの水道井戸で喉を潤しておりました。」
第1幕 夏、江戸町人街の裏長屋
例によって、長屋のかみさん連中が水道井戸を覗きながらぼやいでいる。
「しかし、最近、井戸の水がほとんど少なくなってきてこまっちまうよ」
「ほんに、洗濯するにも、桶に水がたまるのに一時もかかるよ」
「一時は大げさじゃないかい。それにしても、新しい水道は何時んなったら出来るんだい」
「お上の仕事はなんでも遅くて困っちまうねえ。わしら庶民のことなんぞこれっぽっちも考えていやしない」
江戸の市街地は大部分が江戸湾の湿地を埋め立てているから、井戸を掘っても良い水がでない。
そこで、神田川から水道を引いて、その石製あるいは木製の水道管を地中にめぐらせて、ところどころに、大タライを裏返したものを縦に重ねた井戸を設けて、そこから採水できるように巨大な水道網が張り巡らされていた。その井戸は、長屋毎にもあった。
しかし、江戸が発展するにつれて人口が増え、神田川の水源だけでは足りなくなっており、特に雨の少ない夏になると、水不足に陥っていた。
これに対して幕府は、玉川から水を引く新水道の計画を発表、近々工事を請負う業者を募るとうわさされているが、まだそれは行われていない。
そこに水を飲みに来た長屋の住人、鳶職人の半吉が、かみさん連のぼやきを聞いて、
「安心しねえ、今度、知り合いの高衛門さん、正衛門さん兄弟が、玉川から水を引く計画の詳細を作って、お上に願い出ることになってる。
そうすりゃ、おれも工事仲間に加えてもらえるから金が入って、毎晩酒が飲める」
「なに言ってんだい、あんた。金が無くたって毎晩飲んでるだろ。おかげで家は火の車だよ。仕事が入るまで、今晩から晩酌は禁止だよ」
半吉の連れのお重がそう言い放つと、
「まあ、そう言うなよ。ちょっとばかりならいいだろう」
「しょうがないねえ。ちょっとだよ」
まあ、貧乏でも仲睦まじい夫婦ではある。
場面変わって、料亭・三馬亭
世間の評判がいたって悪いブローカー、黒駄屋(くろだや)の悪造(あくぞう)が、奉行所の水道係の役人、欲皮張之助(よくかわ・はりのすけ)となにやらよからぬ相談。
「黒駄屋、水道工事の見積もりは出来たのか?」
欲皮が酒を飲みながら訊ねると、
「はい、欲皮様。図面も見積もりも、用意万端整いました。費用はざっと1万両。ご指名はきっとこの黒駄屋に。これはつまらないお菓子でございます」
欲皮は、悪造が差し出した菓子折りをあけると、干菓子の下に小判の包みが並んでいる。
「ほんにちっぽけな菓子だな。工事が終わったら、こんな菓子ではすまされないぞ。分かっておるな」
「それはもう、お話どおり、この10倍の菓子をお持ちします。」
「よしよし。しかし、お前も俺もワルよのう。」
欲皮がゲラゲラ笑うと、悪造は追従してヒヒヒと笑った。
第2幕 奉行所
工事に入札した黒駄屋と、町人の高衛門、正衛門の兄弟が正座をしている。
そこへ、裃を着た欲皮がやってきて
「これより、開札結果を申し渡す。」
皆、へへへーっと頭を下げる。
「札入れの額:黒田屋一万両。町人高衛門七千五百両。よって玉川上水の工事は、高衛門に請け負わせる。以上」
欲皮はすっと立って後ろを向く。
驚く黒駄屋、慌てて立ちかけて「ちょっと待ってください」と欲皮に呼びかける。
「何じゃ」
「それじゃあ、話が・・、」
「何が、話が、じゃ!」
「いえ、失礼申しました。なんでもございません。」
へなへなと座り込む黒駄屋。
欲皮の目がきらりと光ると、前を向きなおして高衛門、正衛門兄弟に次のように申し渡した。
「高衛門、七千五百両以上、ビタ一文払わぬ。それ以上金が掛かればそちたちの負担じゃ。途中で工事を投げ出せば、全額返上せよ。その上で黒駄屋に改めて一万両で工事を請け負わせる。いやなら今断れ。どうじゃ」
高衛門はハハーッ、と頭を下げたあと
「お、恐れながら、私どもの見積もりによりますと、工事は七千五百両で仕上がります。男に二言はございません。見事な水道を作り、江戸の人々に豊かな水の潤いを取り戻させてみせます。どうぞ私どもにお任せください」
欲皮は苦々しそうに、「その言葉、相違ないであろうな。しっかりやれ。」そう言って黒駄屋を見る。
黒駄屋は欲皮の言外の意図を汲んでニンマリ笑った。
場面変わって、玉川上水工事場。
正衛門の監督の下、鳶の半吉ほか、職人たちが一生懸命に働いている。工事は8割ほど出来上がっていた。
「皆さんの働きで、思いのほか早く進んでおります。ありがとうございます。ささ、これはお饅頭。お茶もあります。どうぞお休みください」
高衛門が娘のお玉に重箱を持たせて、差し入れにやってきた。
「ありがとうございます。おかげさまでこの不景気に職にありつけ、その上、差し入れまで頂いて、こんな職人冥利に尽きることはありません」
半吉も皆も頭を下げる。
その夜、やくざ者の群れが、工事現場に忍び込み、せっかくつくった水道をぶち壊し始めた。
朝、見る影も無い惨状。
職人は皆瓦礫にすわってうな垂れている。
高衛門が慌ててやってきて、現場を見て驚いた。
「いったい誰がこんなひどい事を」
そこへ正衛門が走ってやってきて
「大変です、ほかにも十数か所やられています。無事に残ったのは三割程のようです」
「なに!な、なんと!」
高衛門はどっと膝を突いた。
「やや、これはひどいな」
そこへ欲皮と黒駄屋がやってくる。
「これでは、もうやる気は失せたろう。どうだ、今放棄すれば、本来七千五百両のところ、五千両に負けておく。今からやっても、あと五千両は掛かるであろう。残りの工事は黒駄屋がやるから安心せい。なあ、黒駄屋」
「へい、そりゃもう、一万両も頂けるんでしたら、精一杯頑張らせていただきます」
「こら、おまえは残った七割しかやらないのだから、七千両しか払わんぞ。」
さすがは欲皮張之助、欲の皮がつっ張ってるだけあって計算だけは早い。
しかし、それまで、膝を突き、うな垂れていた高衛門はしっかと立って、欲皮に向かってこう言い放つ。
「欲皮様、男、高衛門に二言はございません。私財をなげうってでもこの上水は完成させてみせます。」
欲皮、黒駄屋は苦々しそうに、
「そうか、仕上げの納期は遅れてはならんぞ。しっかりやれ」
そう言ってそこを後にした。
「だいじょうぶでございますか」
正衛門が心配そうに訊ねる。
「なに、私たちには先祖が残してくれた土地や家財がある。それを売れば何とかなるだろうよ。
黒田屋が作る水道の水なんぞ、なにやら濁っていそうで、そんな水を江戸の人々に飲ませることなどできないよ」
第3幕 四谷 玉川上水、取水井戸前。
玉川上水落成祝いの前の日の夜。
高衛門、正衛門兄弟は、私財を売り払って数千両の金を作り、上水取り口のある羽村から四谷新木戸まで10里31町(約43キロ)の玉川上水を完成させた。
明日はその完成祝いの式典で、羽村にいる正衛門が、上水の取り口の門を開き、四谷まではじめて水を流すのである。
準備を終えて皆が帰ったあと、井戸に怪しい2、3の人影が夜陰にまぎれて接近してきた。二人とも大きな木槌をもっている。
二人は井戸の木枠のそばによると、木槌を振り上げる。
とその刹那、
「こら、何をしている!」
木戸に隠れていた高衛門が飛び出し、半吉、職人大勢も二人を取り囲んだ。
「お前らいったい何者だ!」
半吉と鳶仲間が二人に飛び掛り、こぶしを何度も振り上げる。
やがて奉行所の捕手がやってきて二人を捕らえた。
その夜遅く、奉行所で取り調べた結果、二人は黒駄屋に雇われた者で、以前に工事現場で悪事を働いた連中であった。
翌朝、黒駄屋を捕らえると、黒田屋はあっさり、この悪事は皆、欲皮の書いたシナリオであることを白状、欲皮もすぐお縄となった。
その日の昼。四谷は緑濃く、紫陽花の花が咲くよい季節である。
高衛門、正衛門と職人たち、そのかみさん連中、お玉、町の衆が式典の始まるのを待っている。
そこへ馬に乗って役人たちがやってきた。先頭は奉行・清廉潔之丞(せいれん・きよのじょう)がやってきた。
役人が馬を下りて、しばらくすると、高衛門の合図で半吉が狼煙(のろし)を上げる。
狼煙はいくつかの中継者を経由して羽村に伝達され、今度は、羽村からの狼煙が中継されてきた。
「いよいよ参ります」
奉行と高衛門が上から井戸を覗くと、ちょろちょろとした水が流れて来、それがドっとほとばしって、井戸の底に見る見る水が溜まってゆく。
「玉川上水の完成でございまする」
高衛門が井戸から目を離し、精錬に向かって深々と頭を下げる。
「高衛門、正衛門兄弟、でかした。聞けば自ら数千両もの大金を負ったそうじゃな。その分は奉行所が払うから金額を申し出るが良い。」
「お奉行、お言葉ですが、不足分を自ら負うことは、当初からのお約束。いくら黒田屋の悪事によるとはいえ、工事に事故はつきもので、それも見越して仕事を請け負うのが本当の商いというものでございます。
お奉行のお言葉とはいえ、そればっかりは出来ません。」
「それはまた殊勝な心がけ。ますます気に入った。そうじゃ、そち等に玉川の姓を与える。帯刀を許し、録を与え士分に取り立てよう。
「それはありがたき幸せ。まことにかたじけのう御座いまする」
「なに、ありがたいのはわれわれ江戸に住まうものだ。これで今年の夏は遠慮せずに冷たい水が飲める」
奉行がワハハと笑い、皆も満面に笑みを浮かべた。
玉川紅葉乃清水、これにて幕で御座います。
<ノート>
本編に関する故事
承応3年(1654)、庄衛門、清衛門兄弟が玉川上水を完成させる。請負額は7千5百両であったが、工事には予想外の費用がかかり、兄弟は私財を擲ってその穴を生めた。
幕府は二人を高く評価して玉川の姓を与え帯刀を許し、それぞれ300石の録を与えた。
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