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2009年1月

玉川紫陽花乃清水(たまがわ・あじさいのきよみず)

またまた、太鼓がドドン、と鳴って、狂言回し・金春亭湯之助(こんぱるてい・ゆのすけ)が登場。
「とうざい(東西)、とうざい、本日の題目は、玉川紅葉乃清水でございます。時代は四代将軍家綱様の頃、江戸の庶民は神田上水からの水道井戸で喉を潤しておりました。」

 第1幕 夏、江戸町人街の裏長屋
 例によって、長屋のかみさん連中が水道井戸を覗きながらぼやいでいる。
 「しかし、最近、井戸の水がほとんど少なくなってきてこまっちまうよ」
 「ほんに、洗濯するにも、桶に水がたまるのに一時もかかるよ」
 「一時は大げさじゃないかい。それにしても、新しい水道は何時んなったら出来るんだい」
 「お上の仕事はなんでも遅くて困っちまうねえ。わしら庶民のことなんぞこれっぽっちも考えていやしない」

 江戸の市街地は大部分が江戸湾の湿地を埋め立てているから、井戸を掘っても良い水がでない。
 そこで、神田川から水道を引いて、その石製あるいは木製の水道管を地中にめぐらせて、ところどころに、大タライを裏返したものを縦に重ねた井戸を設けて、そこから採水できるように巨大な水道網が張り巡らされていた。その井戸は、長屋毎にもあった。
 しかし、江戸が発展するにつれて人口が増え、神田川の水源だけでは足りなくなっており、特に雨の少ない夏になると、水不足に陥っていた。
 これに対して幕府は、玉川から水を引く新水道の計画を発表、近々工事を請負う業者を募るとうわさされているが、まだそれは行われていない。

 そこに水を飲みに来た長屋の住人、鳶職人の半吉が、かみさん連のぼやきを聞いて、
「安心しねえ、今度、知り合いの高衛門さん、正衛門さん兄弟が、玉川から水を引く計画の詳細を作って、お上に願い出ることになってる。
 そうすりゃ、おれも工事仲間に加えてもらえるから金が入って、毎晩酒が飲める」
「なに言ってんだい、あんた。金が無くたって毎晩飲んでるだろ。おかげで家は火の車だよ。仕事が入るまで、今晩から晩酌は禁止だよ」
半吉の連れのお重がそう言い放つと、
「まあ、そう言うなよ。ちょっとばかりならいいだろう」
「しょうがないねえ。ちょっとだよ」
 まあ、貧乏でも仲睦まじい夫婦ではある。

 場面変わって、料亭・三馬亭
 世間の評判がいたって悪いブローカー、黒駄屋(くろだや)の悪造(あくぞう)が、奉行所の水道係の役人、欲皮張之助(よくかわ・はりのすけ)となにやらよからぬ相談。
「黒駄屋、水道工事の見積もりは出来たのか?」
 欲皮が酒を飲みながら訊ねると、
「はい、欲皮様。図面も見積もりも、用意万端整いました。費用はざっと1万両。ご指名はきっとこの黒駄屋に。これはつまらないお菓子でございます」
 欲皮は、悪造が差し出した菓子折りをあけると、干菓子の下に小判の包みが並んでいる。
「ほんにちっぽけな菓子だな。工事が終わったら、こんな菓子ではすまされないぞ。分かっておるな」
「それはもう、お話どおり、この10倍の菓子をお持ちします。」
「よしよし。しかし、お前も俺もワルよのう。」
 欲皮がゲラゲラ笑うと、悪造は追従してヒヒヒと笑った。

第2幕 奉行所

 工事に入札した黒駄屋と、町人の高衛門、正衛門の兄弟が正座をしている。
 そこへ、裃を着た欲皮がやってきて
 「これより、開札結果を申し渡す。」
 皆、へへへーっと頭を下げる。
 「札入れの額:黒田屋一万両。町人高衛門七千五百両。よって玉川上水の工事は、高衛門に請け負わせる。以上」
 欲皮はすっと立って後ろを向く。
 驚く黒駄屋、慌てて立ちかけて「ちょっと待ってください」と欲皮に呼びかける。
 「何じゃ」
 「それじゃあ、話が・・、」
 「何が、話が、じゃ!」
 「いえ、失礼申しました。なんでもございません。」
 へなへなと座り込む黒駄屋。
 欲皮の目がきらりと光ると、前を向きなおして高衛門、正衛門兄弟に次のように申し渡した。
「高衛門、七千五百両以上、ビタ一文払わぬ。それ以上金が掛かればそちたちの負担じゃ。途中で工事を投げ出せば、全額返上せよ。その上で黒駄屋に改めて一万両で工事を請け負わせる。いやなら今断れ。どうじゃ」
 高衛門はハハーッ、と頭を下げたあと
「お、恐れながら、私どもの見積もりによりますと、工事は七千五百両で仕上がります。男に二言はございません。見事な水道を作り、江戸の人々に豊かな水の潤いを取り戻させてみせます。どうぞ私どもにお任せください」
 欲皮は苦々しそうに、「その言葉、相違ないであろうな。しっかりやれ。」そう言って黒駄屋を見る。
 黒駄屋は欲皮の言外の意図を汲んでニンマリ笑った。

 場面変わって、玉川上水工事場。
 正衛門の監督の下、鳶の半吉ほか、職人たちが一生懸命に働いている。工事は8割ほど出来上がっていた。
「皆さんの働きで、思いのほか早く進んでおります。ありがとうございます。ささ、これはお饅頭。お茶もあります。どうぞお休みください」
 高衛門が娘のお玉に重箱を持たせて、差し入れにやってきた。
「ありがとうございます。おかげさまでこの不景気に職にありつけ、その上、差し入れまで頂いて、こんな職人冥利に尽きることはありません」
 半吉も皆も頭を下げる。

 その夜、やくざ者の群れが、工事現場に忍び込み、せっかくつくった水道をぶち壊し始めた。
 
 朝、見る影も無い惨状。
 職人は皆瓦礫にすわってうな垂れている。
 高衛門が慌ててやってきて、現場を見て驚いた。
 「いったい誰がこんなひどい事を」
 そこへ正衛門が走ってやってきて
 「大変です、ほかにも十数か所やられています。無事に残ったのは三割程のようです」
 「なに!な、なんと!」
 高衛門はどっと膝を突いた。
 
 「やや、これはひどいな」
 そこへ欲皮と黒駄屋がやってくる。
 「これでは、もうやる気は失せたろう。どうだ、今放棄すれば、本来七千五百両のところ、五千両に負けておく。今からやっても、あと五千両は掛かるであろう。残りの工事は黒駄屋がやるから安心せい。なあ、黒駄屋」
 「へい、そりゃもう、一万両も頂けるんでしたら、精一杯頑張らせていただきます」
 「こら、おまえは残った七割しかやらないのだから、七千両しか払わんぞ。」
 さすがは欲皮張之助、欲の皮がつっ張ってるだけあって計算だけは早い。

 しかし、それまで、膝を突き、うな垂れていた高衛門はしっかと立って、欲皮に向かってこう言い放つ。
 「欲皮様、男、高衛門に二言はございません。私財をなげうってでもこの上水は完成させてみせます。」
 欲皮、黒駄屋は苦々しそうに、
 「そうか、仕上げの納期は遅れてはならんぞ。しっかりやれ」
 そう言ってそこを後にした。

 「だいじょうぶでございますか」
 正衛門が心配そうに訊ねる。
 「なに、私たちには先祖が残してくれた土地や家財がある。それを売れば何とかなるだろうよ。
  黒田屋が作る水道の水なんぞ、なにやら濁っていそうで、そんな水を江戸の人々に飲ませることなどできないよ」

第3幕 四谷 玉川上水、取水井戸前。
 玉川上水落成祝いの前の日の夜。
 高衛門、正衛門兄弟は、私財を売り払って数千両の金を作り、上水取り口のある羽村から四谷新木戸まで10里31町(約43キロ)の玉川上水を完成させた。
 明日はその完成祝いの式典で、羽村にいる正衛門が、上水の取り口の門を開き、四谷まではじめて水を流すのである。

 準備を終えて皆が帰ったあと、井戸に怪しい2、3の人影が夜陰にまぎれて接近してきた。二人とも大きな木槌をもっている。
 二人は井戸の木枠のそばによると、木槌を振り上げる。
 とその刹那、
 「こら、何をしている!」
 木戸に隠れていた高衛門が飛び出し、半吉、職人大勢も二人を取り囲んだ。
 「お前らいったい何者だ!」
 半吉と鳶仲間が二人に飛び掛り、こぶしを何度も振り上げる。
 やがて奉行所の捕手がやってきて二人を捕らえた。
 その夜遅く、奉行所で取り調べた結果、二人は黒駄屋に雇われた者で、以前に工事現場で悪事を働いた連中であった。
 翌朝、黒駄屋を捕らえると、黒田屋はあっさり、この悪事は皆、欲皮の書いたシナリオであることを白状、欲皮もすぐお縄となった。

 その日の昼。四谷は緑濃く、紫陽花の花が咲くよい季節である。
 高衛門、正衛門と職人たち、そのかみさん連中、お玉、町の衆が式典の始まるのを待っている。
 そこへ馬に乗って役人たちがやってきた。先頭は奉行・清廉潔之丞(せいれん・きよのじょう)がやってきた。

 役人が馬を下りて、しばらくすると、高衛門の合図で半吉が狼煙(のろし)を上げる。
 狼煙はいくつかの中継者を経由して羽村に伝達され、今度は、羽村からの狼煙が中継されてきた。
 「いよいよ参ります」
 奉行と高衛門が上から井戸を覗くと、ちょろちょろとした水が流れて来、それがドっとほとばしって、井戸の底に見る見る水が溜まってゆく。
 「玉川上水の完成でございまする」
 高衛門が井戸から目を離し、精錬に向かって深々と頭を下げる。
 「高衛門、正衛門兄弟、でかした。聞けば自ら数千両もの大金を負ったそうじゃな。その分は奉行所が払うから金額を申し出るが良い。」
 「お奉行、お言葉ですが、不足分を自ら負うことは、当初からのお約束。いくら黒田屋の悪事によるとはいえ、工事に事故はつきもので、それも見越して仕事を請け負うのが本当の商いというものでございます。
お奉行のお言葉とはいえ、そればっかりは出来ません。」
 「それはまた殊勝な心がけ。ますます気に入った。そうじゃ、そち等に玉川の姓を与える。帯刀を許し、録を与え士分に取り立てよう。
 「それはありがたき幸せ。まことにかたじけのう御座いまする」
 「なに、ありがたいのはわれわれ江戸に住まうものだ。これで今年の夏は遠慮せずに冷たい水が飲める」
 奉行がワハハと笑い、皆も満面に笑みを浮かべた。

 玉川紅葉乃清水、これにて幕で御座います。

<ノート>

本編に関する故事
 承応3年(1654)、庄衛門、清衛門兄弟が玉川上水を完成させる。請負額は7千5百両であったが、工事には予想外の費用がかかり、兄弟は私財を擲ってその穴を生めた。
幕府は二人を高く評価して玉川の姓を与え帯刀を許し、それぞれ300石の録を与えた。

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北山座 専用劇場開設

早乙女先生を記念して、北山座の専用劇場を立ち上げました。

1~2週間に1篇、一幕あるいは二幕程度の超ショート作品を演じる予定です。

皆さま、こちらもどうぞご贔屓にお願い奉ります。 トニー北山

http://kitayama-za.cocolog-nifty.com/

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北山座 宇流寅歌舞伎・本能寺朝乃陽炎(ほんのうじ・あさのかげろう)

太鼓がドドン!と鳴って、舞台袖から裃を着た狂言回しの金春亭湯之助がしずしずと出て来、正座をすると手を前について一礼。口を開いて

「皆様、よくまあ、こんな江戸の場末までお越しくださいました」

「私どもは、江戸の三座と言われております中村座、市村座、森田座のような、お上(かみ)のご選考には、はなから相手にされておりません北山一座でございます」

「そもそも、“宇流寅歌舞伎”の“宇流寅”とは“ウルトラ”、つまり“超―”なんとやら、という意味でございまして、超歌舞伎、史実の調査も時代考証も全くイイカゲンでテキトーな芝居でございます」

「なにせ、トニーなんぞと、名前を横文字で名乗るような物書きのつくる歌舞伎でございますから、鬼が出るか蛇がでるか、作者の口まかせ、手まかせでございます」

「とにかく、皆々様には、いっとき、お楽しみいただければ、それだけで私どもは役者冥利に尽きるのでございます」

「それでは、初演の演目、本能寺朝乃陽炎」の開幕でございます。

第1幕 本能寺

 引き幕がザザザっと引かれて舞台が現れると、春、朝ぼらけの中に浮き上がる本能寺本堂。

 そこを明智屋光秀(あけちや・みつひで)の軍勢が静かに取り囲む。

 便所に立った小姓の森田蘭丸が眠い目をこすりながら本堂の戸を開けて出てき、寝ぼけて前をまくろうとして殺気立った気配に気づいた。

「ややっ、この軍勢は何事だ!殿!殿!謀反でござる」

 蘭丸が叫びながら本堂の中に飛び込むと、代わりに浴衣姿の青田信長(あおだ・のぶなが)が飛び出してきた。

 本堂には、この二人だけが寝ていたらしい、なんとなく怪しい関係である。

 信長は軍勢に向かって「何者じゃっ!」と一喝。

 すると、花道から光秀が登場してきた。「よっ、源氏屋!」観客が声を上げる。

 光秀は、信長に向かって威厳をもった声で「殿、観念なされ。もう逃れられませんぞ。」

「光秀か、貴様、主君を裏切る気かっ!」
信長は光秀を怒鳴りつける。

 光秀も信長を上回る大声で、
「主君を裏切る気なのは殿の方ではござらんか」

「なに!」

「天子様を廃して、日本国の新王になろうとする殿の魂胆、もはや暴かれておりますぞ」

「何を証拠に!」

「過日、都の使者から、太政大臣か、関白か、将軍か、いずれの官職を欲するかご下問があった際、どれも気に入らぬと拒否し、あげくの果ては、使者を送り返してしまったではありませんか!殿の安国城内に作った御殿が御所の館に模したものが何よりの証拠。殿が天子様に代わって日本国の国王になる魂胆、だれも知らぬものはおりませんぞ!」

「ムムム・・」

 信長はさっと本堂に入り、弓矢を取り出し、光秀に向かって一矢を放った。

「やれ信長、その矢が返事かっ!」

 光秀は矢で刀で切り落し、

「それっ皆の者、見たであろう、これが信長の本音じゃ。信長を打て!」と声を掛ける。

 信長はもはやこれまで、と本堂に入って扉を閉めた。

 やがて煙があがり、本堂に炎に包まれる。その熱気で、本堂の釈迦如来像が陽炎のように揺らめいて見える。

「えいえいおう!」

軍勢がとき時の声を上げた。

「殿らしい、潔い最期であった」

 勝利の喜びに沸く配下の者たちの笑顔の仲で、光秀は物思い顔でひとりごちた。

(幕間)

第2幕

 山崎の地、雨の中、申柴秀吉(さるしば・ひできち)の軍勢4万と明智屋光秀の軍勢1万6千がにらみ合っている。

 光秀の重臣・斉藤利三が、「うーむ、それにしても残念なのは、本能寺の後、太川忠興公も、小筒順慶公も、高山左近公も、皆、殿に協力せず、模様眺めを決め込んでしまったことでございますね。しかし、あんなに早く申公勢が戻ってくるとはまことに意外でした。」

 中国に出張って牛利軍と戦っていた信長の配下の申柴秀吉は、本能寺の変の話を聞くと、信長の死を隠して牛利軍と和睦を結び、急ぎ軍を引いて光秀軍に迫ったのである。

「順慶公など、洞ヶ峠でどちらにつこうか、サイコロを振っているとの話ですぞ。」

 光秀は黙っている。

 利三が「多勢に無勢と申します。ここは、ひとまず長浜に引き上げるのが賢明かと・・」と進言すると、

「いや、攻めよう、我に従いたい者だけついて来い!」

 光秀は、そう叫ぶと、馬にまたがり、槍を握って場を去る。利三も家来たちも後にしたがって退場する。

 それから半時ばかり後、利三が、怪我を負った光秀を肩で支えながらやってくるが、光秀はその場に座り込む。

「利三、私など放っておいて逃げ延びよ」

「何をおっしゃいますか殿。しっかりしてください。まだ勝敗は決まっておりません。ここを切り抜けて、牛利公や後田公とすれば、殿が天下を取れることも、まだ夢ではないのですよ」

 光秀は少しムッとしたが、すぐ静かに笑って

「利三、これでよいのだ。私は信長が天子様を廃し、自ら国王になろうとしたから、彼を討った。それは間違っていない。しかし・・」

 利三は光秀をじっと見る。

「しかし、だからといって、主君の信長を討った私の罪は免れることはできない。そのような者が、天下を治めようとしても、治められるものではない。もし、それでも治めれようなら、そのような天下は曲がったものになるであろうし、やがて自滅するであろうぞ。」

 光秀の言葉は、幕末に攘夷を叫び、徒党を組んでむやみやたらに外国人殺しを行った者が栄達を極めた明治国家が、やがて戦争への道に突き進んでいったことを予言するものであった。

「だから、私は、秀吉に討たれるべきなのだ。秀吉が私を討てば、主君の敵討ちを果たした功労者として大義名分も立ち、日和見の連中も従うだろう。」

 利三は、本能寺の後、光秀がずっと物思いにふけっているような顔をしている理由がわかった。光秀は、信長を討ったことで、自らの役目を果たしたと考えているのだ。死に場所を探していたともいえる。

 そこへ、竹槍を持った農民二人が迷い込んできた。

 農民は、怪我を負っているとはいえ、剛健な武士がいることにギョッとして、逃げようとする。

 光秀は彼らを呼び止める。

「まて、その方たち、土産をやる」

 農民が振り返ると

「私は秀吉軍が探している敵の大将じゃ。私の首を秀吉に持って行けば、そちたちの村は安堵される。戦さで迷惑をかけた、せめてもの償いじゃ」

 光秀はそう言うと地面に座り込み、鎧をひき脱いだ。

「利三、お前はここで死ぬな。落ち延びて、秀吉がどう天下を治めるのか、見届けるのじゃ。」

 利三は、ワッと男泣きしながら、覚悟を決めてしっかりうなづいた。

「介錯を頼む」

 光秀は袖を開いて、目をつぶった。

「心しらぬ人は何とも言はばいへ身をも惜まじ名をも惜まじ

 辞世の句じゃ」

光秀はそう静かに述べると、「たのむ」と俊三を見てから、

いきなり小刀を腹に刺して真横に引き裂き、それをぐっと上に持ち上げて腹を十文字を切った。

俊三は、涙を頬にながしながら、「殿、ご免っ!」

やっと太刀を振り下げる。

あまりのことに腰を抜かした農民に、利三は

「本来、主君の首をやることなどできないが、これも殿の遺言じゃ、丁寧に扱え」

光秀の首を自分の羽織で丁重にくるんで農民に渡すと、農民はそれを抱いて一目散に逃げていった。

利三は天を仰いで泣き叫んだ。

「秀吉、お前、殿の死を無駄にするなっ!よい天下をつくれよっ!」

本能寺朝乃陽炎 これにて閉幕でございます。 

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早乙女貢先生のご逝去

昨年12月23日、敬愛する早乙女貢先生が突然天国に召されました。

 早乙女先生は、ボクをペンクラブに推薦頂いた理事で、ペンクラブの集まりに行くと、いつもボクは最後に先生にお話するのを楽しい例としていました。

 早乙女先生にお会いすると、いつも笑顔で、ご自身の身の回りのこととか、お付き合いのあった文人の方のお話を少しなさりましたが、そのおおらかなご人格に触れると一週間くらいはなんとなく清清しく、春風そよぐ中にいるようなよい気持ちになりました。

 先生はご自身、ご健康で、生まれてこの方入院どころか通院したこともない、風邪も引かない、とおっしゃっておられました。

 私はせいぜいこの7,8年の付き合いですが、古くから先生を知り、先生により近い方のお話だと、先生は昨年奥様に先立たれ、お子様もおられなかったために一人で御住まいで、いつのまにか先生の身体に巣くっていた胃ガンが11月頃に発症、急に悪くなったために、ご自身がお電話をかけて救急車を呼ばれたそうです。

 それからわずかに1,2ヶ月でお亡くなりになるとは、まことに先生らしい、潔のよい旅立ちであったのですが、ボクとしては、先生を親のようにお慕いしていたので大変残念です。

 先生の本名は鐘ケ江秀吉氏、早乙女貢というペンネームはおそらく、ご先祖のご出身である会津の祝い歌である「早乙女唄」にちなんでつけられたのでしょうが、「若い女性に貢ぐ」という意味とも言われています。先生が若い頃は、あまり会津色を出されなかったので、おそらくわざと、自分のペンネームのいわれを、そういう洒落っ気な言い方で言われたのでしょう。

 いまだに先生が亡くなられたという実感が沸かず、これからもペンの集まりに行くと「よう、君」と声をかけていただけるような気がしてならないのですが、多くのメディアが先生のご逝去を報じていますので、やっぱり先生は亡くなられたのでしょう。

 まさに巨星墜つ、の感がいたします。

 先生の霊が天国の神様のもとで平和におられることをお祈りいたします。

 次回から、先生を偲ぶものを書きたいと思っています。

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謹賀新年

みなさま

あけましておめでとうございます。

年初にボクのBlogを訪問いただきありがとうございます。

輝かしい新春を迎え、謹んで、貴台と御全家の皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

  トニー北山

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