川中島鬼神乃大太刀(かわなかじま・きしんのおおたち)
またまた、太鼓がドドン、と鳴って、狂言回し・金春亭湯之助(こんぱるてい・ゆのすけ)が登場。
「とうざい(東西)、とうざい、本日演じます題目は、川中島鬼神乃大太刀(かわなかじま・きしんのおおたち)でございまあす。
時は、永禄四年九月。場所は信濃の国川中島でございます。島といっても山国のこと、千曲川と犀川が合流する三角系の平地でございまあす。
その前の月、上杉謙信は一万三千の大軍を率いて越後から信濃の国に入り、川中島を疾走して千曲川をわたり、妻女山に陣を構えました。この知らせを聞いた武田信玄は、すぐさま上杉軍を上回る二万の大軍を率いて出陣。甲斐の国から信濃の国に入り、妻女山を横目に睨んで川中島を越え、千曲川のほとりの海津城に入りました。両軍は、互いに相手の領地側に入り込んだ格好になります。その間わずかに三キロほどの距離。それから互いににらみ合いが始まりました。すでに過去三回、両軍はここで戦いましたが、いずれも決定的な勝敗はつかず、ここで改めて勝負となったのでございまあす。」
第一幕 川中島 海津城
「十日過ぎても謙信は動かぬ。こちらから攻めるほかあるまい。」
信玄はそう独言(ひとりご)ちて、馬場信春にあるはかりごとを命じた。名づけてキツツキ作戦。
二万の軍のうちの一万二千の別働隊を馬場と真田幸隆が率い、妻女山の謙信の陣を夜襲。不意を突かれた謙信軍が敗退して川中島から越後の領地に戻るところを、信玄軍の本隊が迎え撃ち、別働隊とあわせて、敵を挟み撃ちにする、という作戦である。
その夜、真っ赤な鎧兜に赤旗、風林火山の旗印を掲げた別働隊は、皆静かに、しかし、鞘と鎧があたるカチャカチャという音だけをさせて海津城を出て夜に溶け込んで行った。
翌日早暁。馬場・真田の軍が妻女山のふもとで息を忍ばせている。山頂には、謙信の軍のかがり火が見える。
(今が眠りの一番深いときであろうよ。)
馬場は真田と顔を見合わせあと、後ろを向き、油を塗ったたいまつに火をつけて高く揚げた。
「みなの者、行くぞ!」
「うおーっ!」
それまで声を潜めていた軍勢は、そう叫びながら一気に山を駆け上った。
しかし、謙信の軍は、静かだった。
(おかしい?)
馬場がそう思いながら、山頂に着く。と、かがり火だけがこうこうと光るだけ。
もぬけの空だった。
「や、やられた!」
馬場が絶叫した。
第2幕 それから一時(いっとき、今の二時間)あたり後、川中島。空はようやく明るくなったが、濃い霧におおわれて、少しの先も見えない。
挟み撃ちにしようと早朝に城を出て川中島に進んだ信玄の本隊は、それぞれ戦隊毎に整列をはじめた。
両脇と後備えに騎乗の武将、内に近衆、真ん中に旗奉行、孫子旗、太鼓・ほら貝、やや後方中央に隊将。皆朱色の鎧兜であでやかなはずだが、今は濃霧で、隣前後の武将しか見えない。
妻女山方面からは物音ひとつしない。
その刹那、突如、地響きのような馬蹄の音が響いてきた。
霧が晴れてきたと思うと、前方から「毘」と「龍」の旗印を立てた大隊が向かってくる。
「謙信軍ぞ!」
信玄は慌てた。謙信は意表を突いて、深夜に妻女山の陣を出て、早朝、信玄軍に攻め込んできたのだ。
編隊がまだ整わぬ信玄軍に、謙信軍の槍隊が突進してきた。そのために信玄軍の隊は箱が潰れるように崩れる。
「えいーっ!」「うおーっ!」各所で槍がぶつかり合い、兵の叫び声と土ぼこりが上がる。
騎乗の信玄は態勢を整えるため、武将数十名とともにそこを離れた。
その頃、謙信は単騎で、戦う大隊を横目に川のほとりに向かった。そして、馬から降り、川に兜を投げ捨てて白い布で頭を覆った。そしてまた馬に乗り、二尺七寸五分という大太刀の名刀長光を引き抜き、肩に乗せて走る。
しばらくあと、白覆面の単騎の前を信玄一行の馬が駆けてゆく。
白覆面は、「信玄!いずくにか在る!」と叫んで後を追う。
信玄は、馬を躍らせて川を渡り、そこを逃れようとするが、白覆面は追いかけて川に飛び込み、
「こわっぱ、そこにいたか!」と太刀を振り下げる。
信玄は剣を抜く間がなく、手にした軍扇でその太刀を受け、扇は折れる。
白覆面、また一太刀振り下げ、信玄の肩を切る。
配下の武将が信玄を救おうとするが、川の水の流れが速く、近づくことができない。
白覆面が、さらに一太刀を加えようと刀を挙げた瞬間、
武田の武将が投げた槍の柄が謙信の馬の首にあたり、馬が驚いていななく。
その隙を見て、信玄は馬を操り、配下の武将も信玄を取り囲む。
白覆面は(好機は過ぎた)ときびすを返し、疾風のようにその場を離れていった。
「殿、傷は大丈夫で御座いますか?危のうございました。」
隊将の一人原大隈が心配そうに信玄に話しかける。
「不覚にもやられたが、大丈夫じゃ。」
信玄の肩の衣は裂けて、血がにじんでいる。
「きやつ、何者でございましょう。」
信玄は原をキッと見て。
「分からんのか、謙信じゃ。」
原、信玄の驚いて、
「えっ、敵の大将本人ですか。・・大胆なおのこですね。」
「白頭巾から覗く目は鬼神のようでであった。その目に見られ、さすがのわしも体が動かなくなった。怖いやつじゃ。」
信玄は、謙信が去った方をじっと見て言った。
その頃、騎乗の謙信は、自軍に合流している。
「殿、どこされました?そのお姿。」
配下の武将が白覆面姿の謙信を見て訊ねた。
「いや、ちょっとした遊びを楽しんでおった。」
「戦の最中にそんなお戯れを。」
「まあ、よいではないか、めったに出来ぬ遊びであった。それでは、また武田を攻めるぞ!」
ワハハハ、謙信は破顔一笑し、えいっ、と手綱を引いて武田軍に向かって駆けてゆく。
その馬上の姿は実に爽快であった。
川中島鬼神乃大太刀(かわなかじま・きしんのおおたち)、これにて幕でございます。
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