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早乙女貢先生お別れの会

今週の水曜日、東京會舘で早乙女貢先生のお別れ会が開かれました。

僕もお世話になった一人として参加しました。

会場は、東京會舘で一番広い9階のローズルームでしたが、お別れのために集まった方々で満杯でした。ペンクラブの僕の仲間も何人も来られてました。

祭壇というよりも、桃の花で埋め尽くされた”丘”の真ん中に、着流し姿で微笑む先生の全身写真が立てられ、その前に遺骨の箱。その下に先生のライフワークだった「会津士魂」全巻が並べられ、会津藩の「會」の字が描かれていました。

レクイエムの演奏はバイオリニストの佐藤陽子さん、お別れの言葉は、ペンクラブの阿刀田高さんと文藝家協会の伊藤桂一さん。

司会を務められた高橋ちはやさんのお話だと、早乙女先生は、奥様を夏に亡くされたのですが、誰にもそのことをおっしゃらずに9月に文芸家協会の会員の墓地に葬られ、その月に恒例の会津祭の騎馬行列に西郷頼母役で参加。ところが、10月下旬に急に悪くなって入院。ご家族ご親族がだれもおられないために、「早乙女一座」と呼ばれる、先生にもっとも近い方々8名が親身になってお世話をし、11月に主治医から「手術不可能な末期の胃癌で、余命半年~3ヶ月」と宣告されます。そして、それからは、8名の方々が「士魂の会」を結成して心を合わせて先生のお世話と後事を行うことを誓われたそうです。

その後先生は、しばらくは、雑談なさるほどお元気だったようですが、12月に風邪を引かれ、こじらせて肺炎を併発、意識が朦朧とされる中、「士魂の会」の方々が見取る中、眠るようにお亡くなりになられたそうです。

先生の秘書役を務められていた方は、涙ながらに「早乙女先生は、風のように去っていった」と語っておられました。

ご家族がおられない方なので、「士魂の会」の方々が、今後の一切を行い、早乙女先生の志を世に伝えられるとのお話でした。

早乙女先生は無宗教で、密葬は12月に、わずかに40人ほどしか入れない鎌倉の斎場で「士魂の会」の方々を中心に執り行われたそうです。

お別れの会も、読経など宗教色はいっさいなく、ご遺族代わりの「士魂の会」の方々が並んでご挨拶をされておられました。

献杯のご発声は浅田次郎さん。

早乙女先生は無欲の人で、常に人のために尽くしておられた、たたずまいも生き方も、孤高の文士そのものであった、ということは、挨拶をされた皆さんが口をそろえておっしゃっておられました。僕もまさにそう思います。

つつしんで早乙女先生のご冥福をお祈りいたします。

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