フェンシングの友、太田雄貴君、やったね!
同志社大学を出て、フェンシングに専念するために自らフリーターの道を選び、大会向けに「京都クラブ」所属を名乗る太田雄貴君が、北京オリンピックで見事銀メダルを獲得しました。
太田君、おめでとう!
僕は太田君とはまったく面識がないのですが、大学時代の保健体育科目で、太田君の恩師にもあたる田淵和彦先生からフェンシングを教わったので、なんとなく、弟子仲間のような感覚があるのです。
僕が学生時代をすごした80年代前半の同志社大学では、保健体育科目として、ラグビーやサッカーなどのほかに、ゴルフやフェンシングがありました。ゴルフは主に宝ヶ池のホリデーインホテルのゴルフ練習場で打ちっぱなしを行うもので、「楽やでー!」と学生に人気がありました。僕はもともとサッカーを希望したのですが、抽選で外れて、フェンシングになりました。
フェンシングを教えてくださったのが、東京オリンピックに出場し、団体の男子フルーレで4位に輝いた田淵和彦先生。大変背の高いハンサムな方で、フルーレ以外に、エペやサーベルなども教授いただきました。
特に一生懸命やったのが、ガニ股でポーズをつけ、相手の剣を空中で跳ね返してその反動で突き下ろすフルーレです。
今でも、「アン、ドゥ、トロヮ、クァトロ、サンク!」と、その型で剣を振る真似をすることができます。
皆、練習の時は一生懸命に型に従って剣を振っていましたが、いざ試合となると、とたんに型など雲散霧消、屁ッピリ腰で剣を振り回すだけになりますが、田淵先生はニコニコして、「それでええんや」というようにうなづいて試合をご覧になっておられました。
僕は試合でもできるだけ型どおりにやろうとしていたので、型を無視する同級生の試合振りにクレーム一つ入れない田淵先生に少し不満でしたが、今思えば、それも、入門者に対してフェンシングを楽しんでもらうことを第一優先にされていた先生の温情が現れたものでしょう。振り返れば、僕は中学、高校と、剣道をやっていたので、型の大切さを理解していましたが、そんな経験もなく、大学ではじめてフェンシングを始めた友達には、それを理解してもらうのは難しいものだったのでしょう。
保健体育の授業にフェンシングが設定されていたことは、同志社ならではの事ではなかったでしょうか。
僕も屁ッピリ剣士だったのですが、今回の太田君の研ぎ澄まされたフルーレの技を見て、大いに気を良くしました。
フェンシングは一瞬一瞬が勝負。日本の剣道のように、本質的に相手を殺すことを目的とする殺人剣から生まれたのではなく(もっとも、柳生真陰流から「活人剣」となりましたが)、少しでも相手に傷を負わせれば、相手はそれで名誉を失って敗北となる騎士道精神を表したもので、互いの名誉を競うものです。
だからこそ面白い競技です。
これからフェンシングを愛好する人が続々と出てくることが楽しみです。
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