北山座 宇流寅歌舞伎

川中島鬼神乃大太刀(かわなかじま・きしんのおおたち)

またまた、太鼓がドドン、と鳴って、狂言回し・金春亭湯之助(こんぱるてい・ゆのすけ)が登場。
「とうざい(東西)、とうざい、本日演じます題目は、川中島鬼神乃大太刀(かわなかじま・きしんのおおたち)でございまあす。
 時は、永禄四年九月。場所は信濃の国川中島でございます。島といっても山国のこと、千曲川と犀川が合流する三角系の平地でございまあす。
 その前の月、上杉謙信は一万三千の大軍を率いて越後から信濃の国に入り、川中島を疾走して千曲川をわたり、妻女山に陣を構えました。この知らせを聞いた武田信玄は、すぐさま上杉軍を上回る二万の大軍を率いて出陣。甲斐の国から信濃の国に入り、妻女山を横目に睨んで川中島を越え、千曲川のほとりの海津城に入りました。両軍は、互いに相手の領地側に入り込んだ格好になります。その間わずかに三キロほどの距離。それから互いににらみ合いが始まりました。すでに過去三回、両軍はここで戦いましたが、いずれも決定的な勝敗はつかず、ここで改めて勝負となったのでございまあす。」

第一幕 川中島 海津城
「十日過ぎても謙信は動かぬ。こちらから攻めるほかあるまい。」
信玄はそう独言(ひとりご)ちて、馬場信春にあるはかりごとを命じた。名づけてキツツキ作戦。
 二万の軍のうちの一万二千の別働隊を馬場と真田幸隆が率い、妻女山の謙信の陣を夜襲。不意を突かれた謙信軍が敗退して川中島から越後の領地に戻るところを、信玄軍の本隊が迎え撃ち、別働隊とあわせて、敵を挟み撃ちにする、という作戦である。
 
 その夜、真っ赤な鎧兜に赤旗、風林火山の旗印を掲げた別働隊は、皆静かに、しかし、鞘と鎧があたるカチャカチャという音だけをさせて海津城を出て夜に溶け込んで行った。

 翌日早暁。馬場・真田の軍が妻女山のふもとで息を忍ばせている。山頂には、謙信の軍のかがり火が見える。
(今が眠りの一番深いときであろうよ。)
 馬場は真田と顔を見合わせあと、後ろを向き、油を塗ったたいまつに火をつけて高く揚げた。
「みなの者、行くぞ!」
「うおーっ!」
 それまで声を潜めていた軍勢は、そう叫びながら一気に山を駆け上った。
 しかし、謙信の軍は、静かだった。
(おかしい?)
 馬場がそう思いながら、山頂に着く。と、かがり火だけがこうこうと光るだけ。
 もぬけの空だった。
「や、やられた!」
 馬場が絶叫した。

第2幕 それから一時(いっとき、今の二時間)あたり後、川中島。空はようやく明るくなったが、濃い霧におおわれて、少しの先も見えない。

 挟み撃ちにしようと早朝に城を出て川中島に進んだ信玄の本隊は、それぞれ戦隊毎に整列をはじめた。
 両脇と後備えに騎乗の武将、内に近衆、真ん中に旗奉行、孫子旗、太鼓・ほら貝、やや後方中央に隊将。皆朱色の鎧兜であでやかなはずだが、今は濃霧で、隣前後の武将しか見えない。
 妻女山方面からは物音ひとつしない。
 その刹那、突如、地響きのような馬蹄の音が響いてきた。
 霧が晴れてきたと思うと、前方から「毘」と「龍」の旗印を立てた大隊が向かってくる。
「謙信軍ぞ!」
 信玄は慌てた。謙信は意表を突いて、深夜に妻女山の陣を出て、早朝、信玄軍に攻め込んできたのだ。
 編隊がまだ整わぬ信玄軍に、謙信軍の槍隊が突進してきた。そのために信玄軍の隊は箱が潰れるように崩れる。
「えいーっ!」「うおーっ!」各所で槍がぶつかり合い、兵の叫び声と土ぼこりが上がる。
 騎乗の信玄は態勢を整えるため、武将数十名とともにそこを離れた。

 その頃、謙信は単騎で、戦う大隊を横目に川のほとりに向かった。そして、馬から降り、川に兜を投げ捨てて白い布で頭を覆った。そしてまた馬に乗り、二尺七寸五分という大太刀の名刀長光を引き抜き、肩に乗せて走る。

 しばらくあと、白覆面の単騎の前を信玄一行の馬が駆けてゆく。
 白覆面は、「信玄!いずくにか在る!」と叫んで後を追う。
 信玄は、馬を躍らせて川を渡り、そこを逃れようとするが、白覆面は追いかけて川に飛び込み、
「こわっぱ、そこにいたか!」と太刀を振り下げる。
 信玄は剣を抜く間がなく、手にした軍扇でその太刀を受け、扇は折れる。
 白覆面、また一太刀振り下げ、信玄の肩を切る。
 配下の武将が信玄を救おうとするが、川の水の流れが速く、近づくことができない。
 白覆面が、さらに一太刀を加えようと刀を挙げた瞬間、
 武田の武将が投げた槍の柄が謙信の馬の首にあたり、馬が驚いていななく。
 その隙を見て、信玄は馬を操り、配下の武将も信玄を取り囲む。
 白覆面は(好機は過ぎた)ときびすを返し、疾風のようにその場を離れていった。

「殿、傷は大丈夫で御座いますか?危のうございました。」
 隊将の一人原大隈が心配そうに信玄に話しかける。
「不覚にもやられたが、大丈夫じゃ。」
 信玄の肩の衣は裂けて、血がにじんでいる。
「きやつ、何者でございましょう。」
 信玄は原をキッと見て。
「分からんのか、謙信じゃ。」
 原、信玄の驚いて、
「えっ、敵の大将本人ですか。・・大胆なおのこですね。」
「白頭巾から覗く目は鬼神のようでであった。その目に見られ、さすがのわしも体が動かなくなった。怖いやつじゃ。」
 信玄は、謙信が去った方をじっと見て言った。

 その頃、騎乗の謙信は、自軍に合流している。
「殿、どこされました?そのお姿。」
 配下の武将が白覆面姿の謙信を見て訊ねた。
「いや、ちょっとした遊びを楽しんでおった。」
「戦の最中にそんなお戯れを。」
「まあ、よいではないか、めったに出来ぬ遊びであった。それでは、また武田を攻めるぞ!」
ワハハハ、謙信は破顔一笑し、えいっ、と手綱を引いて武田軍に向かって駆けてゆく。

その馬上の姿は実に爽快であった。

川中島鬼神乃大太刀(かわなかじま・きしんのおおたち)、これにて幕でございます。

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池田屋世紀乃大捕物(いけだや・せいきのおおとりもの)

 またまた、太鼓がドドン、と鳴って、狂言回し・金春亭湯之助(こんぱるてい・ゆのすけ)が登場。
「とうざい(東西)、とうざい、本日の題目は池田屋世紀乃大捕物(いけだや・せいきのおおとりもの)でございまあす。
 時は、元治元年の夏。京の都には諸国から怪しい浪人が集まり騒然としております。それを相手に都の治安維持を一手に引き受けてるのが、松平容保(まつだいらかたもり)・京都守護職お抱えの新撰組隊士たち。
 数ヶ月前から、なにやら怪しい人物が頻繁に出入りしている四条木屋町の材木商・近江屋俊五郎の家を見張っておりましたが、近江屋の家から出てきた者をつけてゆくと、尾行を気にしながら、二条の長州屋敷の裏門に消えます。
 「ややっ、これはますます怪しい」と、隊士たちが近江屋の家に踏み込みますと、武具や槍、鉄砲などを隠し持っておりました。
 さっそく隊士たちは、壬生の屯所に近江屋を連れて行って尋問を始めます。」

第1幕 壬生 新撰組屯所  ときどき強風のために木々が唸る音が聞こえる。

 長倉新八らが、近江屋を尋問している。
「ええいっ吐け、お前は何者だ。」
「・・・」
 この怪しい手紙は何だ。長州藩の者とのやり取りに「この機会逃さず」とあるではないか。」
 普通の尋問では口を割らない。
 やむなく、近江屋を拷問にかけることになった。
 隊士たちが近江屋の両手をしばって、その縄を梁に吊るし、近江屋が半分ぶら下がるような格好にさせた上に、竹刀で背中を打ちはじめた。
「手の竹刀ダコを見れば、お前が商人でないことは明白。えい、えい、吐け!」
 痛いところを突かれた近江屋は「自分は浪人の古高俊太郎だ」と本名を名乗ったが、それ以外は一切口を割らない。
 これは並大抵の拷問ではだめだ、と拷問もエスカレートしてゆく。
 ささらで討ち、肉がとびちっても、それに塩水を掛けても、必死に苦痛に耐えている。

 土方歳三が出てきて「やむを得ん。責任は俺が取るから、最後の手段を使うのだ。」と隊士に指示する。
 皆、ちょっと嫌な顔をしたが、うなづいて、棚から、逆さ吊り用の綱と、足の裏に打ち込むための五寸釘と木槌、五寸釘に具える蝋燭を持ってきた。
 それを見た古高の顔の全面が恐怖に引きつった。

 半時ほどあと。古高は恐るべき計画を白状した。
それは、
○二週間先をめどに強風の夜、強の街に火を放ち、都を焼け野原にする。
○その騒ぎの中、宮中に上がるであろう中川宮と守護職を襲って暗殺。
○さらに、天皇を奪って長州の山口城へ連行し、一気に天下を乗っ取る。
というものだ。そのために、すでに、三条辺の宿屋に長州藩士や浪人三百名が潜伏していることも白状した。

 当時、新撰組は病気や怪我の者が多く、動けるものは、近藤勇、土方歳三、沖田総司、長倉新八、藤堂平助、そのほか数える者しかいなかったが、近藤と土方は、
「古高が捕まったことは、すでに長州側に知れ渡っているだろう、連中としても、ぼやぼや出来ず、すぐに事を起こそうとするのではないか」
「もしかしたら今夜にでも起こるぞ。その前になんとしても捕らえるのだ」
「これは一刻を争う」
と話し合い、まず土方が一隊を率いて、市中を探査臆しながら、八坂神社下の祇園会所へ走る。
 近藤もまた、沖田、長倉などを率いて出動。まず黒谷の守護職に取り急ぎ報告。守護職も驚いて各藩に厳重な警戒を通達した。
 それから近藤の一隊も、市中に走り、片っ端から宿の中を調べに回った。
 時はすでに夜。やがて、三条小橋北の池田屋という旅籠に、長州の藩士が密会しているらしいという連絡が入り、会津藩に応援の使いを出したあと、近藤、土方の各隊が池田屋に走った。

第2幕 三条 池田屋

 新撰組は池田屋の前後を厳重に固めた上、会津藩の応援を待ったが、なかなか来ない。「このまま、ここにいる釘付けになっておれば、他所で変事が起こりかねない」
「やむをえん」
 近藤は土方の顔を見てうなづいた後、池田屋の暖簾をくぐって
「宿改めである」
と怒鳴った。
 池田屋の主人は、それに大いに驚いて、二階に走った。近藤、沖田、長岡、藤堂が囚人の後を追って二階に上がると、長州人や浪人二十人ほどが皆刀を抜いて構える。
「御用お改め、手向かい致すにおいては、容赦なく切り捨てる」
と一喝、皆恐れおののいて後ずさりするが、一人が近藤に向かって切りかかる、とその刹那、沖田がこれを切り倒す。
 数名がこの隙に、と階下へ逃れ、近藤が「追え」と指図。沖田が追うが、そのとき大いに咳き込み、喀血して、戦線を離脱する。
 表に逃げる一人を長倉が追い、袈裟懸けで一刀に切り捨てる。
 便所に逃げ込む者には、板戸から刀を突いて串刺しにする。
 藤堂は垣根際より長州人に切られ、目に血が入って見えず、刀も刃こぼれして切るに切られない。そこへ長倉が助太刀に入り、相手の腰に切り込もうと刀を伸ばす、とその刹那、逆に受け止められて切り込まれる。
 長倉必死にこれを受けて相手と刀を交えていると、近藤が三度ばかり切り込みを受ける。長倉は、助太刀しようと向かうが、その間に長州人や浪人が大勢いてままならず、やっとの思いで、相手の肩先に切り込んで仕留め、近藤を助ける。
 外では、池田屋前の三条小橋で隊士が決戦している間に、池田屋の主人が、縛られている長州人の縄を解いて逃がしている。これに気づいた原田左之助、逃げる相手を追いかけ、槍で突いて仕留める。
 途中から守護職の会津藩、所司代の桑名藩、さらに彦根・松山・淀の各藩もこのテロ一味の逮捕に参戦したが、会津藩に即死五名、彦根藩に即死四名、桑名藩に即死二名、ほかの藩も死傷者を出す。
 半時後、ようやく世紀の大捕り物は終わった。新撰組が召し取った者は二十三名、討ち取ったものは七名、そのために、沖田の刀はぼうし(切っ先)折れ、藤堂の刀はささらのごとくなった。
 捕り物が終わると、新撰組の隊士はへとへとになり、屯所に帰ると酒も死んだように眠り込んだ。

 彼等は文字通り体を張って都を守り、しばし京都に平安が訪れたのである。

 池田屋世紀乃大捕物(いけだや・せいきのおおとりもの)、これにて幕でございます。

<ノート>
 池田屋の戦闘状況は、長倉新八「浪士文久報告記事」によります。

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屋島恋之引弓(やしま・こいのひきゆみ)

 またまた、太鼓がドドン、と鳴って、狂言回し・金春亭湯之助(こんぱるてい・ゆのすけ)が登場。
「とうざい(東西)、とうざい、本日の題目は屋島恋之引弓(やしま・こいのひきゆみ)でございまあす。
 時は、「1192(イイクニツ)つくろう鎌倉幕府」で有名な、源頼朝が幕府を開くしばらく前のこと。京の都は、「平家にあらずんば人にあらず」、おごれる者そのまんまの平家の武士たちであふれかえっておました。

第1幕 春、平安盛(たいらのやすもり)の寝殿
 神殿の真ん中に主(あるじ)の安盛、まわりに武人が座り、くつろいで春の宴(うたげ)の真っ最中。
「東国では頼朝が鎌倉に政庁まがいのものをつくったというが、たんなる田舎の役場にすぎぬ。われら平氏に背けば、すぐに蹴散らしてしまうだけだ、ワハハ。」
「平氏で一二を争う勇者の安盛様の顔を見れば、すぐに尻尾を巻いて退散しましょうぞ、へへへ。」
 下手には、那須野重高(なすのしげたか)、その子太一、与一がとともに酒を飲んでいる。
 重高は声を潜め、周りに気づかれぬように、
「太一、与一よ。家族が揃って安盛様の宴に出ることができるのも、これが最後と思えよ。」
 太一、与一が、
「心得ております。」「おります」
  重高は続ける。
「安盛様はそうおっしゃるが、頼朝様はなかなか侮れない人と聞く。義経様も頼朝様の仲間に加わり、打倒平氏を叫んでいると聞く。
 与一、分かっておるだろうが、お前だけは縁あって、義経様挙兵の時は、家来として参じることに決めておるのだからな。」
 重高はきわどい話をするが、周りはみな、勝手にワイワイ騒いでいるから、重高一家の話などまったく関心がない。
「承知しております。」
 与一は深く頭を下げる。
 
 重高は昔、与一が少年だった頃を思い出していた。
 地元、那須岳の温泉神社で、ある日、弓の奉納試合があった。
 重高が子供たちを参加させたところ、与一が大人たちを負かせて優勝。たまたまその試合を見に来ていた義経が与一を気に入り、試合後、父重高に「将来、平氏打倒のために立ち上がった際は、ぜひ与一を寄越すよう」依頼したのである。
 重高は、義経の依頼を了解した。彼は先の見える人物だったので、子供の太一、与一、それぞれを平氏、源氏につかせることで、どちらの天下になっても、那須野家一族が続くことを考えたのである。しかし、それは、将来、兄弟が必ず争わなければならない運命にさせることとなるわけだから、兄弟としてはたまったものではない。重高もそれから、物思いにふけることが多くなった。

 そのとき、安盛が、自分の娘、春姫を呼び、舞を舞うように言いつける。
「お春、春はお前の季節じゃ、桜のような見事な舞を見せてくれ。」
 春姫は、恥じらいながらも、舞台にあがり、扇を手に優雅に舞を舞い始めた。
 その姿を与一はじっと見つめる。春姫も与一をちらりと見る。
 与一と春姫は、以前からこのような宴席で顔を合わせていた。そして与一は、春姫を見初め、春姫もまた(凛々しいお方)と感じた。二人は惹かれあっていたのである。
 安盛もまた離れた二人をちらりと見る。彼も二人の気持ちに気づいていたのであった。

第2幕 屋島海岸
 沖では、数百に及ぶ赤旗を掲げた平氏の船がひしめきあっている。海岸では、義経率いる数十の騎馬武者が平氏の船をにらんでいる。
 
 数ヶ月前、木曾の義仲が後白河法王を奉じ5万騎の軍勢を従えて京に迫り、万事休すと、平家一門は幼い安徳天皇を奉りっていうより、むりやり連行して西へ西へと逃避行。安盛や春姫の一家、那須野高、太一親子なども一緒であった。平氏は、四国の屋島に行宮を築く。そこに攻め込んできたのが義経率いる騎馬の奇襲軍団。
 水軍を持つ平氏全軍の一族郎党は慌てて沖に逃れるが、義経軍が意外に少数と分かって、沖から義経軍を取り囲み、矢を射って攻める。義経軍も苦戦して、このとき義経の臣の一人、信夫の佐藤継信が義経の身代わりになって命を落としている。平氏軍も矢が尽きることを嫌い、それ以上攻めない。海岸の源氏、沖の平氏がにらみ合う状態が続いている。

 しばらくすると、平氏の船間から小船が現れた。小舟には、漕手のほかに武士が一人と舳先に美女が一人。美女の横には、金地に赤い日輪が描かれた扇を竿の先に挟んで船縁に立ててある。
  小舟は波間を縫って海岸に近づき、その距離が40間(けん)余り(約70メートル)ばかりなったところで、小舟の武士が源氏軍に向かって叫んだ。
「やあ、やあ、我こそは、平家にその人ありと言われた平安盛。ここにいる女は我が娘春姫である。源氏の方々よ。戦の余興を提じよう。誰か、この扇を狙って矢を射る勇者がおられるか。仕損じて女を射れば、武士として末代までの恥。それを恐れて最初から弓を射らぬとなれば、腰抜けである。勇者となるか、恥をかくか、腰抜けになるか、いずれを選ぶか!」
 この安盛の言葉を聞いて、義経軍にいた与一は愕然とした。もう会うこともないと思った春姫が、小船で的のそばに立っているのである。
 小船は波に揺れて上下する。かのエゲレスのロビンフッドが射止めたリンゴは、静止していたからこそ。この扇の的は波にあわせて不規則にあっちへこっちへ揺れ動いているから、とても射れたものではない。
 義経は、自軍の軍勢を振りかぇって、
 「だれか、名乗り出る者はおらぬか。」
 と聞く。
 騎上の与一はしばし考えた。
(あんな揺れ動く的などあたる分けが無い。仕損じれば、恥辱の問題以前に、春姫を殺してしまうではないか!それができるのは、自分だけかもしれない、よし。)
「私にやらせてください。」
「よし、与一、やれ。」

 与一は海岸から海の中に馬を進めて
「やあ、やあ。我こそは源氏一の弓取り、那須野与一なり。
 人一生において、必ず扇の的に向はざる時あり。我においては今なり。
 心願によって見事的を射てみせようぞ。もし仕損じて春姫を傷つけることあらば、人に再び面をむけることあたわず。ここで腹掻っさばいて果てん。」

 小船の春姫はおどろく。その顔を見た安盛は、与一に向かって、
「よくぞ申した那須野与一、敵ながら天晴れな物言い。もし仕損じれば、その首もらった。仕損じなく見事に的を射れば、この春姫はそなたの妻として進ぜよう。」

 この言葉にびっくりの与一と春姫。
「安盛殿、あい分かった。それではわが腕お見せしましょう。」
 与一はまずます緊張して手がガタガタ震えた。

 しかし、頭を軽くふって静かに息を吸い、弓を大きく引いて目を閉じ、
「天よ、願わくば、あの扇の真ん中に射させたまえ。二人の命を助けんと思し召さば、この矢外させたもうな。」
 目をカッと見開いて、えいっ、と弓を射る。

 矢はビューンと飛んだと思うと、扇の真ん中にバチンとあたり、扇が見事竿から墜ちた。
 固唾を呑んで見守っていた源氏、平氏の両軍はやんやの喝采。

 気丈にも竿の横に凛と立っていた春姫は、緊張がほぐれ、どっと腰を落とす。
 重盛は「さすがは、重高氏(うじ)が自慢するだけあって、与一殿の弓の腕は天下一品じゃ。」とひとりごちたあと、春姫を見て、
「お春、平家の時代はまもなく滅び、源氏の時代が来る。若いお前は与一殿と生き延び、幸せになれ。」
(えっ、)と父を見る春姫の目に涙がどっとあふれた。

  屋島恋之引弓、これにて幕でございます。

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玉川紫陽花乃清水(たまがわ・あじさいのきよみず)

またまた、太鼓がドドン、と鳴って、狂言回し・金春亭湯之助(こんぱるてい・ゆのすけ)が登場。
「とうざい(東西)、とうざい、本日の題目は、玉川紅葉乃清水でございます。時代は四代将軍家綱様の頃、江戸の庶民は神田上水からの水道井戸で喉を潤しておりました。」

 第1幕 夏、江戸町人街の裏長屋
 例によって、長屋のかみさん連中が水道井戸を覗きながらぼやいでいる。
 「しかし、最近、井戸の水がほとんど少なくなってきてこまっちまうよ」
 「ほんに、洗濯するにも、桶に水がたまるのに一時もかかるよ」
 「一時は大げさじゃないかい。それにしても、新しい水道は何時んなったら出来るんだい」
 「お上の仕事はなんでも遅くて困っちまうねえ。わしら庶民のことなんぞこれっぽっちも考えていやしない」

 江戸の市街地は大部分が江戸湾の湿地を埋め立てているから、井戸を掘っても良い水がでない。
 そこで、神田川から水道を引いて、その石製あるいは木製の水道管を地中にめぐらせて、ところどころに、大タライを裏返したものを縦に重ねた井戸を設けて、そこから採水できるように巨大な水道網が張り巡らされていた。その井戸は、長屋毎にもあった。
 しかし、江戸が発展するにつれて人口が増え、神田川の水源だけでは足りなくなっており、特に雨の少ない夏になると、水不足に陥っていた。
 これに対して幕府は、玉川から水を引く新水道の計画を発表、近々工事を請負う業者を募るとうわさされているが、まだそれは行われていない。

 そこに水を飲みに来た長屋の住人、鳶職人の半吉が、かみさん連のぼやきを聞いて、
「安心しねえ、今度、知り合いの高衛門さん、正衛門さん兄弟が、玉川から水を引く計画の詳細を作って、お上に願い出ることになってる。
 そうすりゃ、おれも工事仲間に加えてもらえるから金が入って、毎晩酒が飲める」
「なに言ってんだい、あんた。金が無くたって毎晩飲んでるだろ。おかげで家は火の車だよ。仕事が入るまで、今晩から晩酌は禁止だよ」
半吉の連れのお重がそう言い放つと、
「まあ、そう言うなよ。ちょっとばかりならいいだろう」
「しょうがないねえ。ちょっとだよ」
 まあ、貧乏でも仲睦まじい夫婦ではある。

 場面変わって、料亭・三馬亭
 世間の評判がいたって悪いブローカー、黒駄屋(くろだや)の悪造(あくぞう)が、奉行所の水道係の役人、欲皮張之助(よくかわ・はりのすけ)となにやらよからぬ相談。
「黒駄屋、水道工事の見積もりは出来たのか?」
 欲皮が酒を飲みながら訊ねると、
「はい、欲皮様。図面も見積もりも、用意万端整いました。費用はざっと1万両。ご指名はきっとこの黒駄屋に。これはつまらないお菓子でございます」
 欲皮は、悪造が差し出した菓子折りをあけると、干菓子の下に小判の包みが並んでいる。
「ほんにちっぽけな菓子だな。工事が終わったら、こんな菓子ではすまされないぞ。分かっておるな」
「それはもう、お話どおり、この10倍の菓子をお持ちします。」
「よしよし。しかし、お前も俺もワルよのう。」
 欲皮がゲラゲラ笑うと、悪造は追従してヒヒヒと笑った。

第2幕 奉行所

 工事に入札した黒駄屋と、町人の高衛門、正衛門の兄弟が正座をしている。
 そこへ、裃を着た欲皮がやってきて
 「これより、開札結果を申し渡す。」
 皆、へへへーっと頭を下げる。
 「札入れの額:黒田屋一万両。町人高衛門七千五百両。よって玉川上水の工事は、高衛門に請け負わせる。以上」
 欲皮はすっと立って後ろを向く。
 驚く黒駄屋、慌てて立ちかけて「ちょっと待ってください」と欲皮に呼びかける。
 「何じゃ」
 「それじゃあ、話が・・、」
 「何が、話が、じゃ!」
 「いえ、失礼申しました。なんでもございません。」
 へなへなと座り込む黒駄屋。
 欲皮の目がきらりと光ると、前を向きなおして高衛門、正衛門兄弟に次のように申し渡した。
「高衛門、七千五百両以上、ビタ一文払わぬ。それ以上金が掛かればそちたちの負担じゃ。途中で工事を投げ出せば、全額返上せよ。その上で黒駄屋に改めて一万両で工事を請け負わせる。いやなら今断れ。どうじゃ」
 高衛門はハハーッ、と頭を下げたあと
「お、恐れながら、私どもの見積もりによりますと、工事は七千五百両で仕上がります。男に二言はございません。見事な水道を作り、江戸の人々に豊かな水の潤いを取り戻させてみせます。どうぞ私どもにお任せください」
 欲皮は苦々しそうに、「その言葉、相違ないであろうな。しっかりやれ。」そう言って黒駄屋を見る。
 黒駄屋は欲皮の言外の意図を汲んでニンマリ笑った。

 場面変わって、玉川上水工事場。
 正衛門の監督の下、鳶の半吉ほか、職人たちが一生懸命に働いている。工事は8割ほど出来上がっていた。
「皆さんの働きで、思いのほか早く進んでおります。ありがとうございます。ささ、これはお饅頭。お茶もあります。どうぞお休みください」
 高衛門が娘のお玉に重箱を持たせて、差し入れにやってきた。
「ありがとうございます。おかげさまでこの不景気に職にありつけ、その上、差し入れまで頂いて、こんな職人冥利に尽きることはありません」
 半吉も皆も頭を下げる。

 その夜、やくざ者の群れが、工事現場に忍び込み、せっかくつくった水道をぶち壊し始めた。
 
 朝、見る影も無い惨状。
 職人は皆瓦礫にすわってうな垂れている。
 高衛門が慌ててやってきて、現場を見て驚いた。
 「いったい誰がこんなひどい事を」
 そこへ正衛門が走ってやってきて
 「大変です、ほかにも十数か所やられています。無事に残ったのは三割程のようです」
 「なに!な、なんと!」
 高衛門はどっと膝を突いた。
 
 「やや、これはひどいな」
 そこへ欲皮と黒駄屋がやってくる。
 「これでは、もうやる気は失せたろう。どうだ、今放棄すれば、本来七千五百両のところ、五千両に負けておく。今からやっても、あと五千両は掛かるであろう。残りの工事は黒駄屋がやるから安心せい。なあ、黒駄屋」
 「へい、そりゃもう、一万両も頂けるんでしたら、精一杯頑張らせていただきます」
 「こら、おまえは残った七割しかやらないのだから、七千両しか払わんぞ。」
 さすがは欲皮張之助、欲の皮がつっ張ってるだけあって計算だけは早い。

 しかし、それまで、膝を突き、うな垂れていた高衛門はしっかと立って、欲皮に向かってこう言い放つ。
 「欲皮様、男、高衛門に二言はございません。私財をなげうってでもこの上水は完成させてみせます。」
 欲皮、黒駄屋は苦々しそうに、
 「そうか、仕上げの納期は遅れてはならんぞ。しっかりやれ」
 そう言ってそこを後にした。

 「だいじょうぶでございますか」
 正衛門が心配そうに訊ねる。
 「なに、私たちには先祖が残してくれた土地や家財がある。それを売れば何とかなるだろうよ。
  黒田屋が作る水道の水なんぞ、なにやら濁っていそうで、そんな水を江戸の人々に飲ませることなどできないよ」

第3幕 四谷 玉川上水、取水井戸前。
 玉川上水落成祝いの前の日の夜。
 高衛門、正衛門兄弟は、私財を売り払って数千両の金を作り、上水取り口のある羽村から四谷新木戸まで10里31町(約43キロ)の玉川上水を完成させた。
 明日はその完成祝いの式典で、羽村にいる正衛門が、上水の取り口の門を開き、四谷まではじめて水を流すのである。

 準備を終えて皆が帰ったあと、井戸に怪しい2、3の人影が夜陰にまぎれて接近してきた。二人とも大きな木槌をもっている。
 二人は井戸の木枠のそばによると、木槌を振り上げる。
 とその刹那、
 「こら、何をしている!」
 木戸に隠れていた高衛門が飛び出し、半吉、職人大勢も二人を取り囲んだ。
 「お前らいったい何者だ!」
 半吉と鳶仲間が二人に飛び掛り、こぶしを何度も振り上げる。
 やがて奉行所の捕手がやってきて二人を捕らえた。
 その夜遅く、奉行所で取り調べた結果、二人は黒駄屋に雇われた者で、以前に工事現場で悪事を働いた連中であった。
 翌朝、黒駄屋を捕らえると、黒田屋はあっさり、この悪事は皆、欲皮の書いたシナリオであることを白状、欲皮もすぐお縄となった。

 その日の昼。四谷は緑濃く、紫陽花の花が咲くよい季節である。
 高衛門、正衛門と職人たち、そのかみさん連中、お玉、町の衆が式典の始まるのを待っている。
 そこへ馬に乗って役人たちがやってきた。先頭は奉行・清廉潔之丞(せいれん・きよのじょう)がやってきた。

 役人が馬を下りて、しばらくすると、高衛門の合図で半吉が狼煙(のろし)を上げる。
 狼煙はいくつかの中継者を経由して羽村に伝達され、今度は、羽村からの狼煙が中継されてきた。
 「いよいよ参ります」
 奉行と高衛門が上から井戸を覗くと、ちょろちょろとした水が流れて来、それがドっとほとばしって、井戸の底に見る見る水が溜まってゆく。
 「玉川上水の完成でございまする」
 高衛門が井戸から目を離し、精錬に向かって深々と頭を下げる。
 「高衛門、正衛門兄弟、でかした。聞けば自ら数千両もの大金を負ったそうじゃな。その分は奉行所が払うから金額を申し出るが良い。」
 「お奉行、お言葉ですが、不足分を自ら負うことは、当初からのお約束。いくら黒田屋の悪事によるとはいえ、工事に事故はつきもので、それも見越して仕事を請け負うのが本当の商いというものでございます。
お奉行のお言葉とはいえ、そればっかりは出来ません。」
 「それはまた殊勝な心がけ。ますます気に入った。そうじゃ、そち等に玉川の姓を与える。帯刀を許し、録を与え士分に取り立てよう。
 「それはありがたき幸せ。まことにかたじけのう御座いまする」
 「なに、ありがたいのはわれわれ江戸に住まうものだ。これで今年の夏は遠慮せずに冷たい水が飲める」
 奉行がワハハと笑い、皆も満面に笑みを浮かべた。

 玉川紅葉乃清水、これにて幕で御座います。

<ノート>

本編に関する故事
 承応3年(1654)、庄衛門、清衛門兄弟が玉川上水を完成させる。請負額は7千5百両であったが、工事には予想外の費用がかかり、兄弟は私財を擲ってその穴を生めた。
幕府は二人を高く評価して玉川の姓を与え帯刀を許し、それぞれ300石の録を与えた。

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北山座 専用劇場開設

早乙女先生を記念して、北山座の専用劇場を立ち上げました。

1~2週間に1篇、一幕あるいは二幕程度の超ショート作品を演じる予定です。

皆さま、こちらもどうぞご贔屓にお願い奉ります。 トニー北山

http://kitayama-za.cocolog-nifty.com/

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北山座 宇流寅歌舞伎・本能寺朝乃陽炎(ほんのうじ・あさのかげろう)

太鼓がドドン!と鳴って、舞台袖から裃を着た狂言回しの金春亭湯之助がしずしずと出て来、正座をすると手を前について一礼。口を開いて

「皆様、よくまあ、こんな江戸の場末までお越しくださいました」

「私どもは、江戸の三座と言われております中村座、市村座、森田座のような、お上(かみ)のご選考には、はなから相手にされておりません北山一座でございます」

「そもそも、“宇流寅歌舞伎”の“宇流寅”とは“ウルトラ”、つまり“超―”なんとやら、という意味でございまして、超歌舞伎、史実の調査も時代考証も全くイイカゲンでテキトーな芝居でございます」

「なにせ、トニーなんぞと、名前を横文字で名乗るような物書きのつくる歌舞伎でございますから、鬼が出るか蛇がでるか、作者の口まかせ、手まかせでございます」

「とにかく、皆々様には、いっとき、お楽しみいただければ、それだけで私どもは役者冥利に尽きるのでございます」

「それでは、初演の演目、本能寺朝乃陽炎」の開幕でございます。

第1幕 本能寺

 引き幕がザザザっと引かれて舞台が現れると、春、朝ぼらけの中に浮き上がる本能寺本堂。

 そこを明智屋光秀(あけちや・みつひで)の軍勢が静かに取り囲む。

 便所に立った小姓の森田蘭丸が眠い目をこすりながら本堂の戸を開けて出てき、寝ぼけて前をまくろうとして殺気立った気配に気づいた。

「ややっ、この軍勢は何事だ!殿!殿!謀反でござる」

 蘭丸が叫びながら本堂の中に飛び込むと、代わりに浴衣姿の青田信長(あおだ・のぶなが)が飛び出してきた。

 本堂には、この二人だけが寝ていたらしい、なんとなく怪しい関係である。

 信長は軍勢に向かって「何者じゃっ!」と一喝。

 すると、花道から光秀が登場してきた。「よっ、源氏屋!」観客が声を上げる。

 光秀は、信長に向かって威厳をもった声で「殿、観念なされ。もう逃れられませんぞ。」

「光秀か、貴様、主君を裏切る気かっ!」
信長は光秀を怒鳴りつける。

 光秀も信長を上回る大声で、
「主君を裏切る気なのは殿の方ではござらんか」

「なに!」

「天子様を廃して、日本国の新王になろうとする殿の魂胆、もはや暴かれておりますぞ」

「何を証拠に!」

「過日、都の使者から、太政大臣か、関白か、将軍か、いずれの官職を欲するかご下問があった際、どれも気に入らぬと拒否し、あげくの果ては、使者を送り返してしまったではありませんか!殿の安国城内に作った御殿が御所の館に模したものが何よりの証拠。殿が天子様に代わって日本国の国王になる魂胆、だれも知らぬものはおりませんぞ!」

「ムムム・・」

 信長はさっと本堂に入り、弓矢を取り出し、光秀に向かって一矢を放った。

「やれ信長、その矢が返事かっ!」

 光秀は矢で刀で切り落し、

「それっ皆の者、見たであろう、これが信長の本音じゃ。信長を打て!」と声を掛ける。

 信長はもはやこれまで、と本堂に入って扉を閉めた。

 やがて煙があがり、本堂に炎に包まれる。その熱気で、本堂の釈迦如来像が陽炎のように揺らめいて見える。

「えいえいおう!」

軍勢がとき時の声を上げた。

「殿らしい、潔い最期であった」

 勝利の喜びに沸く配下の者たちの笑顔の仲で、光秀は物思い顔でひとりごちた。

(幕間)

第2幕

 山崎の地、雨の中、申柴秀吉(さるしば・ひできち)の軍勢4万と明智屋光秀の軍勢1万6千がにらみ合っている。

 光秀の重臣・斉藤利三が、「うーむ、それにしても残念なのは、本能寺の後、太川忠興公も、小筒順慶公も、高山左近公も、皆、殿に協力せず、模様眺めを決め込んでしまったことでございますね。しかし、あんなに早く申公勢が戻ってくるとはまことに意外でした。」

 中国に出張って牛利軍と戦っていた信長の配下の申柴秀吉は、本能寺の変の話を聞くと、信長の死を隠して牛利軍と和睦を結び、急ぎ軍を引いて光秀軍に迫ったのである。

「順慶公など、洞ヶ峠でどちらにつこうか、サイコロを振っているとの話ですぞ。」

 光秀は黙っている。

 利三が「多勢に無勢と申します。ここは、ひとまず長浜に引き上げるのが賢明かと・・」と進言すると、

「いや、攻めよう、我に従いたい者だけついて来い!」

 光秀は、そう叫ぶと、馬にまたがり、槍を握って場を去る。利三も家来たちも後にしたがって退場する。

 それから半時ばかり後、利三が、怪我を負った光秀を肩で支えながらやってくるが、光秀はその場に座り込む。

「利三、私など放っておいて逃げ延びよ」

「何をおっしゃいますか殿。しっかりしてください。まだ勝敗は決まっておりません。ここを切り抜けて、牛利公や後田公とすれば、殿が天下を取れることも、まだ夢ではないのですよ」

 光秀は少しムッとしたが、すぐ静かに笑って

「利三、これでよいのだ。私は信長が天子様を廃し、自ら国王になろうとしたから、彼を討った。それは間違っていない。しかし・・」

 利三は光秀をじっと見る。

「しかし、だからといって、主君の信長を討った私の罪は免れることはできない。そのような者が、天下を治めようとしても、治められるものではない。もし、それでも治めれようなら、そのような天下は曲がったものになるであろうし、やがて自滅するであろうぞ。」

 光秀の言葉は、幕末に攘夷を叫び、徒党を組んでむやみやたらに外国人殺しを行った者が栄達を極めた明治国家が、やがて戦争への道に突き進んでいったことを予言するものであった。

「だから、私は、秀吉に討たれるべきなのだ。秀吉が私を討てば、主君の敵討ちを果たした功労者として大義名分も立ち、日和見の連中も従うだろう。」

 利三は、本能寺の後、光秀がずっと物思いにふけっているような顔をしている理由がわかった。光秀は、信長を討ったことで、自らの役目を果たしたと考えているのだ。死に場所を探していたともいえる。

 そこへ、竹槍を持った農民二人が迷い込んできた。

 農民は、怪我を負っているとはいえ、剛健な武士がいることにギョッとして、逃げようとする。

 光秀は彼らを呼び止める。

「まて、その方たち、土産をやる」

 農民が振り返ると

「私は秀吉軍が探している敵の大将じゃ。私の首を秀吉に持って行けば、そちたちの村は安堵される。戦さで迷惑をかけた、せめてもの償いじゃ」

 光秀はそう言うと地面に座り込み、鎧をひき脱いだ。

「利三、お前はここで死ぬな。落ち延びて、秀吉がどう天下を治めるのか、見届けるのじゃ。」

 利三は、ワッと男泣きしながら、覚悟を決めてしっかりうなづいた。

「介錯を頼む」

 光秀は袖を開いて、目をつぶった。

「心しらぬ人は何とも言はばいへ身をも惜まじ名をも惜まじ

 辞世の句じゃ」

光秀はそう静かに述べると、「たのむ」と俊三を見てから、

いきなり小刀を腹に刺して真横に引き裂き、それをぐっと上に持ち上げて腹を十文字を切った。

俊三は、涙を頬にながしながら、「殿、ご免っ!」

やっと太刀を振り下げる。

あまりのことに腰を抜かした農民に、利三は

「本来、主君の首をやることなどできないが、これも殿の遺言じゃ、丁寧に扱え」

光秀の首を自分の羽織で丁重にくるんで農民に渡すと、農民はそれを抱いて一目散に逃げていった。

利三は天を仰いで泣き叫んだ。

「秀吉、お前、殿の死を無駄にするなっ!よい天下をつくれよっ!」

本能寺朝乃陽炎 これにて閉幕でございます。 

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