書籍・雑誌

「もしも宮中晩餐会に招かれたら-至高のマナー学」

 最近になく面白い本を読みました。元宮中料理人でいらっしゃった渡辺誠氏の『もしも宮中晩餐会に招かれたら-至高のマナー学』という本です。

 これは、宮中の正餐式に招かれた場合、どう準備し、どう振る舞えばよいかという、僕のような一般人には全く関係の無いテーマについて詳細に綴られた本で、本当に対象となる人とすれば、おそらく年間数百人程度しかない、きわめてマイナーな読者を想定した本です。

 この本を読むと、宮中晩餐会に招かれた方は想像を絶する苦労をされることが分かります。

 まず、招かれるといっても、あくまで正餐式の主役は国賓として来日される外国の元首級の方々と天皇皇后両陛下であって、たまたま陪席者として招かれたとしても、要は脇役で、料理は主賓のペースで出されるから、自分のペースで料理を味わうことはできない。せっかくフォークとナイフでハの字をつくっても、主賓が食べ終わると、どんどん料理は片づけられてしまうそうです。

 それよりも、晩餐会の料理はフランス料理で、サラダまでフォークとナイフを流ちょうに使って食べなければならない。

 料理は要は「大皿料理」で、自分で取り分けないといけない。ここで緊張のあまり、粗相をしてしまう人が出てくる。

 スープはスプーンで食べなければならないけれど、そのスプーンがヨーロッパ伝来の大きくて深いスプーンだから、使い慣れないとスープをすする際、うっかり「ズーズー」と音がでて大恥をかいてしまう。

 それにドレスコードは男性はホワイト・タイまたはブラック・タイで、晩餐会出席のために新調すると100万円以上は掛かる。

 などなど、読むだけでめまいのしそうなことがたくさん書かれています。

 それでも愉快なのは、そのような宮中晩餐会でも通じるマナーをこなせるようになれば、世界中のどんなパーティでも楽しめるようになる、とおっしゃる渡辺氏のマナー哲学です。

 日本ペンクラブは国際ペンの日本支部の位置づけになっていて、ペンの会員は、希望すればだれでも国際ペン大会に参加することができます。

 国際ペン大会となれば、開催国の元首級の方々が参加するパーティも開かれる場合がありますから、やっぱり、この「至高のマナー学」を心得ておけば、恥をかかなくてすみます。

 欧米の正式なパーティのマナーを心得たい方、あるいは、将来もしかしたら自分も宮中の晩餐会に招かれることがあるかも?とお考えの方に、本書のご一読をお薦めいたします。

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岡仁詩と『ラグビー・ロマン』

 岩波新書に後藤正治氏著『ラグビー・ロマン-岡仁詩とリベラル水脈』があります。

 長年同志社のラグビー部を率いてきた岡先生の半生を描いた本です。本書の出版は2006年9月。翌年5月に岡先生はお亡くなりになりました。

 僕は、ひょんなことからこの本の存在を知ったのですが、一人の現役(当時)のラガーマンの人生が、お堅い岩波新書の一冊になったこと自体に驚きましたが、岡先生は、このように本のテーマに取り上げられるべき価値がある方でいらっしゃることは充分理解していました。

 本書では、特に80年代前半の同志社ラグビー第2期黄金時代について詳しく書かれていますが、その頃は僕がちょうど学生時代で、国立競技場に応援に行ったことを思い出しました。

 僕が大学のキャンパスで岡先生をお見かけしたのは数える程しか無いのですが、いつもブレザーを着ておられ、大変ダンディな方でした。京都御所の北隣り、同志社大学今出川キャンパス・明徳館地下の学生食堂で、岡先生が学生の列に混じって、お盆を持ってレジに並んでおられた光景は今でも鮮明に覚えています。

 僕には直接ラグビー部の友だちはいなかったのですが、それはそのはずで、ラグビー部の部員は大方皆、寮のような所に集団で住んでいて、チームあるいは個人の練習に明け暮れ、ラグビーのために出席できなくなった授業は夜の補講などで学んでいたため、一般の学生とはあまり接点がないのでした。

 それでも、友だちの友だちは大八木と仲良しだったり、怪我で休んでいた平尾を知っていたりしていました。

 そういえば、サッカー同好会に入っていた友だちは、清水圭と仲良しで、卒業後、清水さんと香坂みゆきさんとの結婚式にも参加したそうです。そういう学生有名人が、わりあい多くキャンパスで学生生活を過ごしていました。現在も現役の放送キャスターをつとめておられる吹田明日香さんが当時英文科にいて、吹田嬢見たさに、友だちはわざわざ彼女が受講している般教(「ぱんきょう」と読む、一般教養科目)の授業に顔を出していました(僕はそんなことはしてません)。僕たちが好きだった学生アイドルは、当時の「JJ」のモデルの高橋亮子さんや、当時福岡女学院女子短大の学生だった岡部まりさんでした。特に高橋亮子さんは、「メンズクラブ」にも登場した大人気のモデル嬢で、レイヤードのロングヘヤーにペンシルストライプ柄の水色のワンピースの似合う、僕たちアイビーボーイたちにとって憧れの女性でした。今は姓が玉井さんになりましたが、現役のモデルとして活躍されておられます。岡部まりさんも、現在、西田敏行さんと一緒に「探偵ナイト・スクープ」に出演するなど活躍されていらっしゃいますが、ショートヘヤーで可愛らしかった学生時代とほとんど変っていない若々しい印象です。

 ずいぶん脱線しましたが、1980年代前半当時の同志社大学はラグビー人気が絶頂で、友だちの中にはラグビーの同好会に入ったり、僕もちょっとまねごとをしたりしていました。

 秋口の頃、ちょうど「同志社EVE(イブ、創立記念日前に行われる同志社の大学祭)前後から冬にかけて、大学は同志社ラグビーの話で盛り上がっていました。

 そのしばらく後だったか、同志社卒業生の集まりに岡先生がゲストでお見えになり、先生の講演も聞きましたが、先生には大変なカリスマがあり、僕たち来聴者は皆岡先生に魅了されたものでした。

 最近、同志社ラグビーはもう一つの結果となっていますが、この本を読むと、今のラグビーの戦法の多くが、岡先生や同志社のラガーマンたちが生み出したものであることが分かり、同志社人の一人として大変誇りに思います。

 ただ、この本が、岩波新書という、関連性がまったく想像できないジャンルの本の一つとして誕生したために、同志社ラグビーのファンの方もその存在を知らないかも知れません。

 本書は、特にラグビーと同志社を愛する人にお勧めの一冊です。

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大橋マキ「日々香日」

Pa0_0031  「ロハスの女神」といえば、大橋マキさんです。

 J-Waveの「Lohas Sunday」やBS朝日の「Happy! Lohas」のナビゲーターを務め、雑誌『ソトコト』に「アロマな気持ち」を連載し、アロマテラピストとしても活躍されています。「ココログ」を提供している@niftyの「オンラインセミナー」もナビゲートしていらっしゃいますね。

 先日、丸の内OAZO(オアゾ)の丸善で、大橋マキさんの『日々香日』を見つけたので、すぐ買い求めました。

 この本は、大橋さんが、華やかなアナウンサーの仕事をする中で自分を見つめ、次第に違和感を感じてそれを辞める。そしてイギリスへの留学という「自分探しの旅」に出てアロマに出会い、アロマテラピスト、フリーのライターとして生きることを見いだす。そして現在、彼女はLohas(ロハス)な生き方で日々を充実して暮らしている。そんな大橋さんの来歴と日々の生活を綴る珠玉のエッセイ集です。

 本の中ではあまり表面には出てきませんが、旦那さんとの信頼しあった夫婦生活も垣間見られます。

 大橋さんが、マスコミに登場する一方で、アロマセラピストとして都内の老人病院でお年寄りの方々に施術しているのも初めて知りました。見ず知らずの人の手や足、足の裏を掌で揉んであげることなどなかなかできないことです。

 ハーブを用いたアロマが、単に香りを楽しむものではなく、補完医療として重要な役割を担っていることも分かり、視野が広がりました。

 本質を見つめてまじめに生きる人の姿にはいつも多くを学ばされます。

 ところで、その大橋さんが初めて赤ちゃんを授かったことが、先週(9月2日)の「ロハス・サンデー」でご本人から発表されました。すでに安定期に入っているとのお話。

 ロハス・ベビーが生まれると、大橋さんご一家は、日本最高のロハス・ファミリーになりそうですね。

 おめでとうございます。 

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「石津謙介の NEW IVY BOOK」

Pa0_0030  60年代のアイビーのバイブルが「TAKE IVY」だったとすれば、この「NEW IVY BOOK」はまさに80年代のニュー・アイビーのバイブルです。

 本書の巻頭では、石津翁が、ご自身が提唱する「ニュー・アイビー」について、従来のアイビーとの違いを含めて大変分かりやすく説明しておられます。

 大変貴重な文章なので、長文ですがご紹介しましょう。

「ここしばらく、ボクはニュー・アイビーということにこだわっている。で、なぜアイビーの上にニューをつけたかということが問題になってくるのだけれど、なんとなく今、アイビーと呼ばれているファッションと区別してみたくなったからだ。というのは、今のアイビーは、この責任の一端はボクにもあると思うんだけれど、どうしても、〝…でなければならぬ″式の押しつけが多くて、アイビーはライフ・スタイルである、と謳いながらもファッションの各論に陥りすぎている。ディテイルだとか、ブランドだとか、あまりに枝葉のことにかたよりすぎているきらいがある。」

「そこで言いたいことは、アイビーをファッションで語るな、ということだ。アイビーとは、クラシック、オーセンティック、コンサヴァティヴ、というような言葉が思想を語り、精神を現わすように、心理であり、ライフ・スタイルなのだ。生活はエンジョイしなければならぬ。」

「アイビー・ライフ・スタイル論が、日本ではいつの間にか、生活を楽しむことではなく、アイビーを正しく着ることが、正しいライフ・スタイルである、というように取り違えられてしまって、いわゆるアイビーの公式を正しく守ることがアイビーの条件にされてしまった」

「つまりファッションとしてのアイビーと、ライフ・スタイルとしてのアイビーが混同されてしまったのである。ファッションにしろ、ライフ・スタイルにしろ、本来はもっとフリーに楽しむべきものなのだ。」

「そこでボクは楽しむアイビーというものを提案するために、あえて頭にニューをつけたのだ。そこで重要なことは、頭を柔軟にして、これらのフリーな楽しみ方を受け入れることだと思う。」

「アイビー・スピリットという言葉があるが、スピリット、つまり精神、という言葉がどうも堅苦しくていけない。もっと気楽にアイビー・マインドなんて呼んでみたい。」

「ボクがいいたいのは、昔からのものを頑固に守り続けるのも結構だが、時代の移り変りがもたらす変化、新しい素材、今までなかった着方などを謙虚に認める寛容さを身につけて欲しい、ということだ。ものにとらわれず、自分の目でいいと確めたものを自由に身につければよい。これがニュー・アイビーということなのだ。」

 そして石津翁は、

「アイビー・マインドを持って生きる。それがニュー・アイビーのただひとつのルールなのだ」

と宣言されておられます。(「別冊Hot・Dog Press Fashion Special 石津謙介のNEW IVY BOOK」講談社 1983年)

 このニュー・アイビー論は、VAN倒産後の石津翁が、自由な文化人的立場で、アイビーの哲学をリニューアルされたものと僕は考えています。そして、この「ニュー・アイビー」こそ、僕が学生時代に出会い、その後の自分のライフスタイルのベースとなったものなのです。

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アイビーのバイブル「TAKE IVY」

Pa0_0026  昨年末、26年ぶりに『TAKE IVY』が復刻されたそうです。限定1000冊だけで、あっというまに完売したとのこと。現在、オークションでは1万円以上の価格で取り引きされているほどの人気ぶりです。

 このことは、現代でもアイビーが愛されている証拠ですが、僕はこれから、第3次アイビーブームが来るのではないかと思っています。

 『TAKE IVY』は、もともと昭和40年(1965)に刊行されています。そのとき、この本はアイビーのバイブルになり、ここからアイビーの歴史が始まりました。

 僕が持っているのは、昭和55年(1980)の復刻版。この前後から80年代半ばにかけて、「ニュー・アイビー」が大流行しました。

 そう考えると、この本が刊行・復刻される都度、日本にアイビーのブームが起きていることが分かります。

 『TAKE IVY』が刊行された当時は、1ドル360円という固定相場制で、一般の人が海外旅行に行くことなど夢のまた夢だった時代です。その頃、サントリーが「トリスを飲んでハワイに行こう」という有名なキャンペーンを行ったそうですが、実際には、当選者には、ハワイ旅行分の現金を配ったそう(?)、それほど、現実に海外に行くのはいろいろと大変だった時代です。

 その時代に、アメリカのアイビーリーガーのカレッジ・ライフやファッション、アイビー文化をかたちづくるバックグランドを日本に紹介する写真集を出したのは、発行した婦人画報社の歴史的な業績といっていいと思います。おそらく、アメリカにおいても、この本は60年代前半のキャンパスライフの貴重な記録として評価されるものだと僕は考えています。

 本書の写真は、林田昭慶氏、文章はくろすとしゆき氏と石津翁のご子息の祥介氏、イラストは保積和夫氏、という、日本のアイビー文化のパイオニアの方々が本書をつくっておられます。

 中身を見ると、ファッションについては、アイビーのワードローブ・ガイドや、イェール大学の服装心得20カ条など、懇切丁寧にアイビー・ファッションやライフスタイルが紹介されていますが、それだけではなく、勉学やスポーツに真剣に取り組む学生の姿なども紹介されて、等身大でアメリカ東海岸の学生生活が描かれています。

 ただ、面白いのは、そののちの我々の「お洒落」の感覚と、60年代当時の執筆者のその感覚が異なっていることです。

 『TAKE IVY』では、ネクタイを締めてきっちりした服装を「お洒落」とし、ラフなカジュアルファッションで、たとえば裸足で靴を履いたりすることを「バンカラ」でキャンパス内だけで許される「お洒落」ではない服装、と紹介しています。

 80年代には、裸足でデッキ・シューズを履くのがお洒落として大流行しましたが、これとまったく逆の感覚ですよね。

 冬、学生たちが好んで着る「スタジアム・ジャンパー」も、本書ではまだ名前がなく、2色柄のジャンパー(「ツートン・ジャンパー」)として紹介されているのも微笑ましく思いました。

 今改めて読んでみると、『TAKE IVY』はいつの時代も色あせないアイビーのバイブルであることをしみじみ感じました。

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宇田川悟「VANストーリーズ」

Pa0_0024 宇田川悟氏著『VANストーリーズ-石津謙介とアイビーの時代』(集英社新書)  

タイトルは「VAN」の物語ですが、中身は石津謙介翁の評伝となっていました。著者の宇田川氏は石津翁と晩年の遊び仲間だったということだけあって、本書では氏ならではのエピソードが紹介されています。

 石津翁が「TPO」(Time,Place,Occasion=時と場所と場合)という言葉を発明したことは知っていましたが、翁が、「トレーナー」、「ニューポート・ブレザー」、「スウィングトップ」、「チルデン・スウェーター」など、今に残るネーミングを生み出したことも本書によって知りました。

 本書によれば、「カジュアル・フライデー」の仕掛け人も、VAN倒産後、文化人として復活した石津翁だったそうです。石津翁の先見性と影響力には恐れ入ります。僕が学生時代からしばらく愛読していた「メンズクラブ」も、創刊当初から石津翁が編集顧問だったそう。僕が知らなかったことまで石津翁の影響を受けていたんだなあ、と感じました。

 青山をファッションの街にしたのも、翁とコシノ・ジュンコ氏だったとのこと。たしかに、青山霊園があったくらいですから、それ以前は静かな住宅地だったのでしょう。(ちなみに、もともと大阪にあったVAN本社の周辺が、その後「アメリカ村」と呼ばれるようになったとのこと。)

 青山といえば、青山学院大学には、学生時代含めて遊びに行きました。実にアイビーらしい大学の一つですね。敷地内にある会館は文字通りアイビーホールという名前です。

 アイビーリーグは、もともとアメリカ東部にある8つの私立大学で構成されたフットボールリーグの名称で、同じスポーツの連盟であることや受験の難易度が似ていることから、のちに日本で生まれた「東京六大学」が「和製アイビーリーグ」などと呼ばれる場合がありますが、こと日本においては、アイビーは、石津翁の功績によって、ファッションやライフスタイルという広い意味で導入されましたので、特定の大学とは全く関係がないものになっています。

 僕流の定義でいえば、大学そのものか、または大学の多くの学生たちがアメリカに多かれ少なかれ影響を受けている伝統ある大学が、日本における「アイビーリーグ」である、と捉えています。もっとも、戦後の日本は教育制度自体がアメリカの強い影響を受けていますから、どの大学でもそれはあてはまることになります。

 その中でのメッカといえば、石津翁とご子息が卒業された明治大学でしょう。

 僕は、わりあい明治大学の現在の学生を身近に見ているのですが、彼らのほとんどはアイビーとは無縁の服装をしています。石津翁を生んだ、日本のアイビー発祥の地といっていい大学ですから、ぜひこれからもアイビー文化を牽引していってほしいものです。

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石津謙介「男たちへの遺言」

Pa0_0001_2   91歳で2005年に亡くなったVAN創設者・石津謙介翁の「遺言集」を読みました。亡くなる2年前に書き残した『男たちへの遺言』(東洋経済新報社)です。

 「はじめに」で、翁は、最近出会う人ごとに質問される「どうすれば先生のように長生きができるんですか?」「人生を楽しく、幸せに暮らすにはどうしたらいいでしょう?」という問い対して、「楽しい人生を送る秘訣は『人生は楽しいものだと思う』ことだ」と答えておられます。

 「人生、辛いことだらけですよ。先生には嫌な思い出はないんですか?」と聞かれても、「私は何回も無一文になったし、若い息子を亡くしたこともある。思い出せば辛くない訳ではない。けれど、なるべく嫌なことは思い出さないことにしているのである。昔のことを思い出してクヨクヨしてみても、どうなるものでもない。」「昔のことは、過ぎたことである。それよりも、今、何か楽しいことをするほうがよい。」「何か面白いことはないか、どうすれば楽しめるか、そんなことばかり考えていれば、人生は楽しくないわけがない。それが『人生は楽しいもの』という考え方なのだ」と続けておられています。僕は、翁の根アカで前向きな人生哲学に感動しました。

 石津翁は、1911(明治44)年生まれ。人生で3度無一文になっています。

 最初は、戦時下の紙統制で生家の紙問屋が閉店させられたとき。

 2度目は、敗戦で中国・天津から命からがら引き上げたとき。

 3度目は、1978(昭和53)年、負債総額500億円という戦後のアパレル業界最大の大型倒産のかたちでVANが倒産したとき。この少し前には、愛する三男も病気で亡くされています。

 VANの初期は、日本にアイビーファッションを紹介し、「ファッションの神様」の名をほしいままにした翁ですが、VANが倒産するとかろうじて四谷の自宅だけが残りました。以降、翁は、ご自身いわく、悠々と貧を楽しむ「悠貧」の文化人として晩年を楽しみました。

 「人生の最後に青春を置こう」、「90年生きていれば、90歳になるが、毎日を生き生きと楽しく過ごすことができれば『老人』ではない」「ヤング・アット・ハート」

 翁の遺言集の最初の遺言です。

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