音楽

再び「君の瞳に恋してる」

 真夏に熱いカレーを食べて暑気払いをするような、熱いけれど観た後にスカッとするいテレビドラマが「太陽と海の教室」ですね。昨年の世界陸上ではかなり濃厚にスベってた感があった織田裕二さんが、今回は、熱い教師を演じてくれていて、毎回楽しく観ています。ヒロイン役の北川景子さんも正統派の美人で見とれています。

 このドラマの主題歌(挿入歌)が、「君の瞳に恋してる」のオリジナル版です。

 この曲は、80年代前半に、ボーイズ・タウン・ギャングのディスコ調アレンジ版でリバイバルしたのですが、もともとはボサノバ調のスタンダード・ソングで、アンディ・ウィリアムスなんかが歌ってました。

 去年のブログで、アンディとデニスのなんともオシャレなナンバーをご紹介していますので、再び皆様にご案内しましょう。

http://ivy-life.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_f21b.html

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「池上線」と佐藤順英さん

 昨日の朝日新聞土曜版・「うたの旅人」に「池上線」の話が載っていました。

 池上線の歌詞は、作詩をした佐藤順英さんの「実話」だったとのこと。

 佐藤さんは、学生時代に交際していた女性がいて、自分がハワイ大学に留学している間にも文通を続けていたけれども、ある日、「待っているのに疲れた」という手紙をもらい、あわてて帰国して説得したけど、結局だめになった。その情景を女性に仮託して作った詩だったそうです。そして、佐藤さんは留学も止めてしまって、音楽の道に進んで行く。

 朝日新聞側は、現在の相手の女性を探し出してインタビューしていますが、彼女は、職場結婚して今は二人の子どもがいて、「ふつうすぎるほどふつうに生活している」そうです。

 しかし、一方の佐藤さんは、未だ独身を通していて、相手の女性が就職したメーカーであって、また、その夫となった人の勤めている会社の製品は買わないことにしているようです。

 「池上線」は、学生時代の悲恋を歌った「実話」だったわけですね。

 男は悲恋をずっと引きずってしまう傾向がありますが、この点、女性は、すぐにサッパリして、新しい恋愛に切り替えることができるのではないかと僕は思っています。

 朝日新聞の書き方だと、佐藤さんが今でも、当時の悲恋を引きずっているように感じられてしまいますが、おそらく、佐藤さんにとっては一生に一度の大悲恋だったのでしょう。

 しかし、それでは、相手の女性にとって、当時の恋愛が、歌で歌われたほどの悲恋だったのかどうか、佐藤さんのように人生を変えるほどの大きなインパクトがあったものだったのかどうかは分かりません。

 それに、相手の女性は、自分で新しい恋愛をして、現在、その相手と幸せに暮らしているのですから。

 その相手を引っぱり出してインタビューするは、ちょっとどうかと思いますね。

 男性の作詞家が、女性の立場で恋を歌った歌はたくさんありますが、そこには、女性としてはこう感じて欲しい、という男性の願望が込められているように思います。

 そして、そのような歌を聞く人もまた男性だから、その歌詞に思いを寄せるわけです。

 だけれども、実際には、男と女の感情の間には、目に見えない、越えられない壁の存在が立ちはだかっているように僕には思えるのです。

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SONGS 竹内まりや

NHKのSONGSに竹内まりやさんが登場しました。

 昨年の春に始まったSONGSの第1回が、やはりまりやさんだったようですが、僕はそれを見逃してしまいました。その時に誕生した歌が「人生の扉」だったとのこと。

 今回はSONGS放送1周年記念のスペシャルとして再びまりやさんが出演。結婚する娘を送り出す母の気持ちをうたった「うれしくてさみしい日(Your Wedding Day)」を初披露してくれました。

 竹内まりやさんは今年芸能生活30年の記念の年。昨年発表した「人生の扉」では、信じられないほど時が早く過ぎてしまい、はや五十路を過ぎてしまった現在、いったい人生とは意味があるのかどうか、意味がないという人もいるが、やはり自分は人生に生きる価値があると信じる、とうたっています。

 2001年に発表したアルバム ボナペティの中でも、「毎日がスペシャル」だとか、「心はいつでも17才」などで、あっという間に年を重ねて行く自分へのとまどいを語っています。

 まりやさんも、あっという間に50才をすぎてしまったご自身について、実は大変にメランコリックな気持ちをお持ちなのではないのかと僕は思います。

 鬱病になる傾向は40代後半から増えるといわれていますが、僕もそれはそうなのだと思います。

 10代・20代にはまだまだ自分の人生が無限に広がっているという気持ちが強く、30代は仕事に夢中でまだまだ先のことなど考えられないのに対して、40代後半になると、今まで生きた年月よりも残りの人生が短くなってしまったことに突然気づき、過ぎていった時の流れの速さに驚いて、この先の年月もあっと結う間に過ぎ去る予感に襲われて愕然となるからなのでしょう。僕も暫く前は同様な気持ちになって気持ちが塞いだ覚えがあります。

 このメランコリーをどう越えるか。鬱病になる理由の一つが、これを乗り越えられない場合ではないかと思います。

 僕の場合は、キリスト教を学ぶことでこのメランコリーを乗り越えることが出来ました。とりわけ、イエスの復活の状況証拠(http://ivy-life.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_612e.html)を知ることで、イエスに希望を見出すことができたのです。

 もっとも、まりやさんの歌を聞いて、そんなことを感じたのは僕だけかも知れません。

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杏里さんのこと

 ハイブリッドDVDレコーダーにたまっていたテレビ番組をチェックしていたら、アーティストの杏里さんが、NHKの「SONGS」という音楽番組に登場していました。

 杏里さんは、まさに僕と同世代なのですが、今の彼女を見ていても、昔と全く変わっていなくて、嬉しい驚きでした。

 だいたい中年になると、上に伸びる変わりに横にノビるものですが、彼女の場合は、スタイルも格好良くて、「悲しみが止まらない」なんかをガンガン歌っていた時代と変わっていませんでした。

 もちろん僕は彼女を個人的には知りませんが、同世代にああいう元気でカッコイイ人がいると嬉しいですね。今のヤング・アーティストには無い”粋”、”オシャレ”を感じます。

 テレビでは、彼女の歌の原点に江ノ島があったというのですが、江ノ島に上陸したことのない僕としては、島の中の街を見ることができたのも得した気分でした。昔、彼女はお父さんの車で島に入ったけれど、その車のBGMが、行きはポール・モーリアで、帰りが演歌と言ってました。なんか時代を表す音楽ですね。

 ひさしぶりに杏里さんの歌を聞いて、杏里さんのファンになりました。

下は杏里さんの公式ホームページです

http://www.anribox.com/

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イェール大学と同志社大学のカレッジ・ソング・リレー

 名画『カサブランカ』の劇中歌と同志社カレッジソングが同じメロディーだった背景には、アイビーの名門校イェール大学の存在があります。

 『カサブランカ』でドイツ軍将校たちが合唱したのは、「ラインの守り」という、ドイツの統一運動のさなかに生まれた軍歌でした。軍歌ですから大変威勢が良く、また、ドイツ統一の機運に満ちた若々しい元気な曲です。作曲したのは、カール・ウィルヘルムという人です。

 このイェール大学は、この「ラインの守り」のメロディーが若者たちにとって大変良い曲だったので、この曲に自分たちで詩をつくり、大学歌としました。著作権などやかましくない時代でした。

 そして、同志社では、もともと賛美歌が学生たちの歌だったので校歌の必要はなかったのですが、日露戦争後、ほかの学校でも校歌をつくる動きが出てきて、その必要が感じられていました。

 そのころ、同志社で、学生の合唱の指導をしていたのがシドニー・ギューリック先生で、彼はアイビー・リーグの一つ(といっても、「アイビー・リーグ」の呼称が広まったのは1930年代です)、ダートマス大学の出身で、母校以外に、イェール大学からも神学博士号を取得している人物でした。そして、彼が合唱指導に用いていたテキストがイェール大学の校歌集。

 ギューリック先生は学生の要望を受けて、知人で音楽や作詞に秀でていたヴォーズさんに相談。

 ヴォーリズさんは、やっぱり、イェール大学の校歌のメロディである「ラインの守り」が、最も青年らしくて元気に満ちていることから、これを採用し、「同志社」の名前をワン・パーパス(一つの志)と英訳して、これを巻頭に冠した校歌をつくりました。

 つまり、ドイツ統一運動でうまれた軍歌「ラインの守り」のメロディが、その威勢の良さでイェール大学、同志社大学へとリレーされて歴史的につながっていったのです。

 ここで登場したギューリック先生は、アメリカに帰国したのち、1920年代にアメリカで起こった排日運動、これに反応して日本で発生した反米論を憂慮して「世界の子供たちの間のフレンドシップ委員会」をつくり、日米の友情をはぐくむために、日本の雛祭りのために「青い目の人形」を日本の子供たちに贈る運動を提唱しました。

 この主旨に賛同して日本に送られた人形は、1万2千体以上に上りました。

 日本からは、その返礼として、雛人形をアメリカの各州と主要都市に贈っています。

 さて、この「青い目をした人形」たちは、日米協会会長の渋沢栄一翁により、全国に配られましたが、その後、対米戦争が開始されるとこの「青い目の人形」に対して消却命令が出されました。

 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉はありますが、なんとも「アホクサ」な命令ですね。

 この災難でほとんどの人形が焼かれましたが、わずか数体だけは隠されて残りました。

 「アホクサ」な命令によってすべて消却されかったこと、なんとか人形を隠して守った人がいたことに、僕は希望を感じます。

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竹内まりや「University Street」

University_street  僕が学生時代に大好きだったアルバムが、竹内まりやの「University Street」です。

 アルバムは構成も凝っていて、学生通りの雰囲気を描いた「オン・ザ・ユニヴァーシティ・ストリート」から、失恋(「涙のワンサイデッド・ラヴ」)、夏休みの思い出(「思い出のサマーデイズ」)、ジェームスディーンみたいなかっこいい学生を思う歌(「J-Boy」)、留学する相手との別れ(「ブルー・ホライズン」)、新しい恋の相手に昔の彼の面影を見つけてしまって戸惑う思い(「かえらぬ面影」)、そして卒業式の日、学生生活の思い出を込めて大学との決別を詠う「グッド・バイ・ユイヴァーシティ」と、まさにアイビー的なアルバムの仕上がりになっています。

 竹内まりや自身、アルバムに添えられたリーフレットに、「アルバム『University Street』は私が実際に過ごしている学生生活に基づいた、トータルアルバム的なものに仕上がっています」と書いているとおりです。

 アルバムの写真の背景は、彼女が通っていた三田の慶應義塾大学のレンガの校舎でしょう。

 ただ、リーフレットによれば、このアルバムが完成した79年の春、彼女は慶応の英文科を卒業する予定だったはずが、その「英語学」を落として留年が決まったとのこと。そんな「オチ」もついていたアルバムでした。

 それはともかく、僕の学生生活は、このアルバムで詠われた通りのものでした。だから、僕が卒業する日の朝、僕はこのアルバムを改めて聴き、特に「グッド・バイ・ユイヴァーシティ」を口ずさみながら卒業式に向かったのでした。

 そんな大切なアルバムが、竹内まりやの「University Street」です。

 ところで、最初の「オン・ザ・ユニヴァーシティ・ストリート」の最後にほんのちょっとだけ実際の学生通りの雰囲気がライブ録音されているのですが、その中で「ヘイ、まりや!元気?」「バイビー!」と声を掛けるチョイ役で出演している人は、アン・ルイスかなあ?

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最高のスチールギタリスト・大塚竜男

Hawaiian  先日の海の日に、NHKFMでハワイアン・ミュージックの特集をやってました。昼から夜10時までという大特集だったのですが、ちょうど中越地震が起こった日だったので、僕はそっちが心配でテレビをずっと観ることにし、FMの方は録音して別の日に改めて聞きました。

 特集では、大昔のジャパニーズハワイアンも流してくれたので、僕は大好きな「大塚竜男とパームセレナーダーズ」の曲を掛けてくれるのを楽しみにしていたのですが、残念ながら、トニー大塚の曲は聞けませんでした。

 大塚竜男先生は1922年東京生まれ。日本はもとより、海外で熱狂的なファンが多い世界最高のスチールギタリストの一人です。海外では「トニー」の愛称で慕われています。

 大塚先生のスチールギターは、E7(イー・セブンス)というチューニングから生まれる心に染みる響きが特長で、曲を聞けばすぐに先生の演奏であることが分かります。

 大塚先生は、ずいぶん前、新宿で「Palm」というハワイアンミュージックの生演奏が売り物のパブを開いていました。僕は当時、知人に連れられてトニーのお店に行き、すっかり気に入って通いづくめとなり、先生にハワイアン・ミュージックやご自身の戦争体験など、実に様々なことを教えてもらいました。

 先生は戦時中パラオに出征し、敗戦のとき、飲まず食わず、命からがら日本に帰国されました。

 戦後、先生は、スチールギタリストとして名を為し、弟さんの堯士(たかし)さんと一緒にパームセレナーダーズを結成、エセル中田などを育て、やがて六本木にずいぶん大きなお店を持たれたのですが、その店は人に騙されて取られてしまったそうです。

 大変なご苦労もされた方でした。

 僕が「Palm」に通った当時は、レコードとカセットテープの時代でしたが、ある日、先生は僕に「ブルー・ハワイ」の歌の指導をした上で自らSGで伴奏してくれて、カセットテープにしてプレゼントしてくれました。これは今でも僕の宝物です。

 先生の奥様はフラダンスの名手で、パーム・セレナーダーズの専属のフラ・チーム、アロハ・ビューティーズのリーダーでした。時々、お店に妙齢なお弟子さんたちがフラを踊りに来ていました。

 そんなことで、ハワイアン・ミュージックがラジオから流れると、僕はいつもトニー大塚のことを思い出します。

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アンディとデニスの「君の瞳に恋してる」

31p3fwx99sl_aa240_1_3   この曲は80年代に、ボーイズタウンギャングで大ヒットしたディスコ・ミュージックけど、元々はしっとりしたボサノバ調のスタンダードミュージックです。

 特に我らがアンディ(アンディ・ウィリアムス)が甘い声で歌ったレーベルはムード満点。

 久しぶりに聴きたくなってYouTubeで探したら、悪戯っぽい視線を浴びせるブロンド娘のデニス嬢とデュエットでこの歌を歌うアンディーの最高にオシャレなビデオクリップを見つけました。

 さっそく皆さまにご紹介しましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=L9P0NncqVqg

 女性には失笑されそうだけど、こんなブロンド嬢がいたら、まず口説くのが、アイビー流のスタイル。その意味でもアンディーはアイビーたちの最高のお手本の一人です。

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