名画『カサブランカ』の劇中歌と同志社カレッジソングが同じメロディーだった背景には、アイビーの名門校イェール大学の存在があります。
『カサブランカ』でドイツ軍将校たちが合唱したのは、「ラインの守り」という、ドイツの統一運動のさなかに生まれた軍歌でした。軍歌ですから大変威勢が良く、また、ドイツ統一の機運に満ちた若々しい元気な曲です。作曲したのは、カール・ウィルヘルムという人です。
このイェール大学は、この「ラインの守り」のメロディーが若者たちにとって大変良い曲だったので、この曲に自分たちで詩をつくり、大学歌としました。著作権などやかましくない時代でした。
そして、同志社では、もともと賛美歌が学生たちの歌だったので校歌の必要はなかったのですが、日露戦争後、ほかの学校でも校歌をつくる動きが出てきて、その必要が感じられていました。
そのころ、同志社で、学生の合唱の指導をしていたのがシドニー・ギューリック先生で、彼はアイビー・リーグの一つ(といっても、「アイビー・リーグ」の呼称が広まったのは1930年代です)、ダートマス大学の出身で、母校以外に、イェール大学からも神学博士号を取得している人物でした。そして、彼が合唱指導に用いていたテキストがイェール大学の校歌集。
ギューリック先生は学生の要望を受けて、知人で音楽や作詞に秀でていたヴォーズさんに相談。
ヴォーリズさんは、やっぱり、イェール大学の校歌のメロディである「ラインの守り」が、最も青年らしくて元気に満ちていることから、これを採用し、「同志社」の名前をワン・パーパス(一つの志)と英訳して、これを巻頭に冠した校歌をつくりました。
つまり、ドイツ統一運動でうまれた軍歌「ラインの守り」のメロディが、その威勢の良さでイェール大学、同志社大学へとリレーされて歴史的につながっていったのです。
ここで登場したギューリック先生は、アメリカに帰国したのち、1920年代にアメリカで起こった排日運動、これに反応して日本で発生した反米論を憂慮して「世界の子供たちの間のフレンドシップ委員会」をつくり、日米の友情をはぐくむために、日本の雛祭りのために「青い目の人形」を日本の子供たちに贈る運動を提唱しました。
この主旨に賛同して日本に送られた人形は、1万2千体以上に上りました。
日本からは、その返礼として、雛人形をアメリカの各州と主要都市に贈っています。
さて、この「青い目をした人形」たちは、日米協会会長の渋沢栄一翁により、全国に配られましたが、その後、対米戦争が開始されるとこの「青い目の人形」に対して消却命令が出されました。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉はありますが、なんとも「アホクサ」な命令ですね。
この災難でほとんどの人形が焼かれましたが、わずか数体だけは隠されて残りました。
「アホクサ」な命令によってすべて消却されかったこと、なんとか人形を隠して守った人がいたことに、僕は希望を感じます。
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